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2009年6 月 8日 (月)

「超古代」に関する暗号の解読

「ほつま研究所」(所長 木元三郎)のホームページの中に、「『超古代』という時代区分」という表題の記事がある。会員の方が書かれたようである。
超古代については、吾郷清彦氏著作の「古事記以前の書」(昭和47年)や鈴木貞一氏著作「超古代王朝の発見」(昭和48年発行)があるが、特に「ほつまつたゑ(秀真伝)」を全訳した「日本建国史」(昭和51年発行吾郷清彦著)において、神武朝以前の時代に「超古代」という名称を提唱したのが発端ではないかとしている。

天照大神から鸕鶿草葺不合尊の年代に関して記載のある書物としては、「ほつまつたゑ」や「倭姫命世紀」などがある。「百七十九万二千四百七十余年」をはじめ「天照大神御寿十万五千歳」や「鸕鶿草葺不合尊、治天下八十三万六千三十二年」などの数字が示すように、それだけ見れば「超古代」である。
しかし、上記の数字はすべて暗号であり、復元年代は一世紀から二世紀に入る年代である。
また、中国史書の「後漢書」によれば、西暦57年、倭の奴国の使人の大夫が光武帝に朝貢している。さらに、西暦107年、倭国王(使)師升等が安帝に清見している。そのことを考えれば、一世紀から二世紀の歴史を「超古代」と捉えるのは正しいと思えない。

(それにもかかわらず、「超古代」をあえて用いたのは、筆者は若い頃、材料の研究開発に従事しており、「超重合金」や「超硬合金」をはじめ、「超弾性合金」を手掛けていたため、「超」という表現に強い思い入れがある、ということをお断りしておきたい。)

「超古代」に関する暗号の解読方法
「表101 超古代の数字」の関係する数字を挙げたので、見ていただきたい。

表101 超古代の数字

関係する書物は、正史とされる「日本書紀」を除けば、すべて偽書とされる。
筆者は、これらの書物が偽書だとしても、日本書紀の復元年代を明らかにするためのヒントを与えてくれる貴重な書物とみている。実際に、復元年代を示唆してくれている。
表に記載した内容から分かるように、書物によって少し数字が異なる。
筆者が信頼している数字は、「日本書紀」の「ニニギ降臨の暗号179万2470余年」であり、それ以外の数字は、一つ一つ信頼できるかどうかを判断しなければならない。
「ニニギ降臨の暗号179万2470余年」の解読方法と結果は、「ニニギ降臨の暗号『179万2470余年』の解読」に明らかにしているので、ぜひとも見ていただきたい。
「超古代」に関する暗号の解読も、ニニギ降臨の暗号の解読方法を用いれば解読できるのである。

「超古代」の暗号に関する新しい解読方法
前術した「『超古代』という時代区分」の記事に解読のヒントが述べられている。ポイントのみ次に記す。
「ほつま研究会同人の方が『ヨロトシ』のヨロは祝う意味と寿の意味があるという。百が「モモ」、千が「チ」、万が「ヨロ」というので、『ヨロトシ』は万年ということになるのであるが、祝年や寿年の意味があるとすると年代の推定も違ったものになる。」

「8543年」は、神武誕生年
年代解読方法は上記に述べたヒントに従い、6桁の数字を「万」で区切り、2ケタと4ケタの数字に分解し、それぞれの数字を解読すればよいのである。それも「ほつまつたゑ」の数字に限るだけでなく、「倭姫命世紀」などにも適用できるのである。
倭姫命世紀のニニギ治天下の暗号「21万8543年」は、「万」で区切ると、「21年」と「8543年」に分かれる。「21年」は、治天下即ち在位21年を意味する。
「8543年」は、ニニギ降臨の暗号の解読方法と同じに解読する。2桁ずつ加算すると、137となり、神武誕生ニニギ暦(西暦)137年を意味する。
古事記の神武御年137年と同じ数字であり、古事記の解読結果も神武誕生年を意味する。

次に、倭姫命世紀のニニギ治天下の暗号にはもう一つ、上記の例とは異なる数字「31万8543年」がある。時代や作者が異なると、ニニギ治天下に対しても、いろいろの見方があったのであろう。そのため、異なる暗号が生まれたと考える。
ニニギ治天下の二つの数字の違いは21万と31万の部分であるから、在位21年の他に在位31年とする見方があったことになる。
ところが「8543年」の部分は同じなので、両方の数字から神武誕生はニニギ暦(西暦)137年が読み取れる。神武誕生137年は、上記の在位の解読結果に比べて、より信頼性が高いといえる。
倭姫命世紀には、ニニギの外に、ホホデミとウガヤの暗号がある。それらについて、「『倭姫命世記』が伝える神武以前の歴史」(2008/11/19投稿)に記載したので、読んでいただきたい。

追記(2009/10/31)
「日子穂穂出見命(ホホデミ)治天下 580年」は、神武東征出発の年、ニニギ暦(西暦)155年
解読方法は、「新発見・・・・日子穗穗手見命五百八十歳の意味」(カテゴリ「古事記の暗号」)に述べたので、ご覧いただきたい。
日本書紀は、ニニギ降臨の暗号「179万2470余年」により神武の復元年代を示した。古事記は、ニニギに替えて、同じ「日向三代」の一人であるホホデミに、神武の復元年代を託したのである。

追記(2009/12/05)
鳥居礼氏の「ホツマツタエ入門」(1989年、東興書院)には、多くの暗号が記載されているのを紹介している。
ホホデミ治天下の暗号「63万7892年」は、日本書紀の写本である「三島本」および「玉屋本」や「倭姫命世記」、「神皇正統記」に記載されているという。その他多くの記載例が記されているが、筆者未確認であり略す。
多くの書物の中で一致した数字はニニギ降臨の暗号「179万2470余年」とホホデミ治天下の暗号「63万7892年」である。多数の編者が共有している暗号であり、その意味において信頼できる数字と見做せる。
「63万7892年」という数字の解読結果は、962年(302年、崇神即位年)を意味する。
「179万2470余年」の解読結果は、822年(162年、神武即位年)および300余年であるから、302年と300余年がニニギ降臨の暗号とホホデミ治天下の暗号の結びつきを示唆している。
肝心の「ほつまつたゑ(秀真伝)」には「63万7892年」が見当たらない。なぜなのか?


「倭姫命世記」が伝える神武天皇以前の歴史

筆者は、日本書紀の神武天皇の冒頭に記載された「179万2470余年」をニニギ降臨の暗号と呼ぶ。この暗号は、記紀の年代の紀元を示していて、年代解読において最も重要なキーとなっている。また、この暗号が示す紀元を、ニニギ降臨に由来しているところからニニギ暦と呼ぶ。

神武東征はニニギ降臨から150余年(または300余年)後に行われた。日本書紀によれば、神武東征は神武紀元前7年であるから、西暦に直せばBC667年に行われた。従って、ニニギ降臨は、東征の150余年前になるから西暦BC817年となる。現在から見れば、約2800年前のことになる。この延長線で話を進めれば、「超古代史」ということになる。

他方、ニニギ暦は神武暦の661年目を紀元元年としている。そして、150余年とは神武東征のニニギ暦(西暦)155年を指しているのである。神武は、ニニギ暦(西暦)137年に誕生し、155年に東征に出発、7年後の162年に即位する。

倭姫命世記」という古書は、鎌倉時代に作られたようである。作者は、内容から伊勢神宮の関係者と思われる。学者は、当然のように偽書というが、その偽書の作者が何を伝えようとしたかを見ることにしよう。
倭姫命は第11代垂仁天皇の皇女である。
「倭姫命世記」は、書の題名のとおり、倭姫命の斎宮としての生涯を書いているが、それは初代斎宮である豊鋤入姫命の後を託され、天照大神を伊勢に祀るまでの物語でもある。
ここで述べるのは、この書物の冒頭に記載されている「天孫降臨」と「神武天皇」についてである。
神武(神日本磐余彦)は、東征出発に当たり、天祖ニニギの降臨は「179万2470余年」の遠い昔のことだったという。
ニニギ(彦火瓊瓊杵尊)は、高千穂の串触の峰に降臨し、「21万8543年」天下を治らした。
ニニギの子のホホデミ(彦穂穂出見尊)は、「63万7892年」天下を治らした。
ホホデミの子のウガヤ(彦波激武鵜草茸不合尊)は、「83万6032年」天下を治らした。

『解読1』(6桁の数字を加算)上記の数字を暗号とみて解読すると、次のようになる。
降臨には30年を要した。天下を治らした年数は、ニニギ32年、ホホデミ53年、ウガヤ22年である。合計すると、137年となる。このとき、ニニギ暦(西暦)137年に神武が誕生したということになる。
古事記の神武の御年137歳は、神武がニニギ暦(西暦)137年に誕生したことを意味すると述べてきたが、「倭姫命世記」の作者もそのように考えていたのである。
なお、古事記の編者はホホデミの御年を580歳とするが、10倍暦で58歳であろう。上記とは5歳異なるが、次に述べるので、ここは我慢していただく。

『解読2』(頭二桁が年数)によれば、天下を治らした年数は、ニニギ21年、ホホデミ63年、ウガヤ83年である。合計すると、167年になる。神武の即位年162年と5年食い違う。それではということで、ホホデミの年数63年を古事記の58歳(年)に置き換えてみると、見事に、162年になる。
それにしても、ホホデミ58年、ウガヤ83年は大きな数字である。ニニギ朝、ホホデミ朝、ウガヤ朝という見方が生まれ、ウガヤ朝は複数の王が存在した、といわれるのはこのことかも。

また、3人で162年の在位は、1人平均54年の在位であり、少し長すぎる。日本書紀が在位として記載した年数は、在位ではなく崩年までの年令であることを思い起こせば、上記の数字も同様と考えてよい。仮に162年が2倍暦とすると、実年は81年になり、4倍暦なら41年になる。
4倍暦の場合の数字を年代にはめてみると、ニニギ降臨は121年辛酉の年に当たる。
ニギハヤヒ(饒速日命)の「虚空見つやまと建国」の年代を示唆する。
ウガヤの即位は141年となり、神武誕生年137年に近い年代である。

さて、『解読1』から得られた137年は重要な数字である。筆者にとって、大きな収穫である。
しかし、ニニギ朝、ホホデミ朝、ウガヤ朝に関する数字は、現在のところ、何の根拠も持たない。ここから始まるのである。

倭姫命世記」の暗号解読から得られたもう一つは、ニニギ、ホホデミ、ウガヤの数字には神武以降の年代が隠されていることである。
『解読3』(6桁を、ニニギ降臨の暗号と同じ手法で解読)では、175年、179年、221年が読み取れる。既に筆者が復元モデルとしている年代とは1年違いの、極めて近い数字である。
『解読4』(下4桁の解読)では、137年、(1)62年あるいは26歳が読める。
特に重要視しているのは、221年という数字である。孝昭崩御年に相当するが、筆者は222年を採用している。
もしかすると、221の逆数122の読み取りが正しく、「虚空見つやまと建国」は122年壬戌なのかもしれない。神武と崇神の即位は、いずれも壬戌の年なのである。
現代の学者の示す年代よりは、今から800年も前の偽書の作者の方が一層正しい年代を教えてくれる。