ニニギ降臨の暗号の別解釈・・・「179」と「247」の解読
記紀の復元年代、在位、年齢が固まってきた。今まで疑問に思っていたことでも、数字が固定されないと、先に進めない問題があった。
例えば、「ニニギ降臨の暗号179万2470年」の数字である。
この暗号は、既に解読済みである。投稿記事「ニニギ降臨の暗号『179万2470余歳』の解読」を参照していただきたい。
今まで、「179」と「247」に関してはなにも読めていない。「一つの暗号で複数の解を得ようとすることに無理がある」と考えられるから、無駄骨なのかもしれないと思っていた。
次に、「247」について、多くの方が解読しているが、その一つに「247は、魏志倭人伝に記載された卑弥呼の死んだ年、正始8年、西暦247年を指す。」という主張がある。
しかし、暗号が西暦247年を指していたとしても、記紀の年代解読は何ら進展しない。暗号の解と見做すには物足りない。
「247」の解読結果
[推古天皇崩御628年から、247年遡った381年が応神天皇即位年である。]
暗号は、不明な点を正しく解読できるようにするキーの役割を持っている。編者は、日本書記に記載された推古天皇の崩御年を正しいと考えていた。それに対し、応神即位年は「数字のからくり」が隠されていて、既知ではない。編者は、暗号がなければ、応神の即位年を解決するのは困難であると考えたのであろう。
この解読に対し、理解できないことがある。
古事記は最後に推古天皇を記載する。しかし、日本書紀記載の最後は持統天皇である。なぜ、日本書記が、推古天皇を基準年に選んだのか分らない。
「179」の解読結果
解読というより推理である。「247」の解読において述べたように、確かな年代があって、キーである「247」あるいは「179」を用いて不明な年代を読みとる。
確かな年代とは、上記で用いた「247」に関係する年代、即ち数字の位置を入れ替えた「427」である。
[仁徳天皇崩御427年から、179年遡った248年が孝安崩御年である。]
解読する側が最も知りたい天皇の年代の一つが孝安崩御年と孝霊天皇即位年である。編者は、重々そのことに気付いての暗号ということになる。
古事記の場合には、孝安崩御248年と孝霊即位249年は、暗号に気付きさえすれば明確に読める。
それに対し、日本書紀の場合は、孝安崩御248年と孝霊即位249年を年次表から読むには、何となくすっきりした読み方でない。なにしろ、卑弥呼と壹与が関係するから、より確かな根拠がほしいところである。どうやら、248年は、卑弥呼が死亡した年であり、249年は、壹与(孝霊天皇妃倭国香媛、古事記では、意富夜麻登玖邇阿礼比売命)が女王として立った年である。
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