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2009年10 月30日 (金)

綏靖、安寧、懿徳の各天皇の崩御年は同じ年

日本書記には、「年代や在位(数字)のからくり」や「シンメトリック」が存在する。これらを正しく捉えないと復元年代は得られない。
筆者は、神武天皇から懿徳天皇までの復元年代34年(記載上は185年間)を、「神武の時代」あるいは「神武一族の時代」と呼んでいる。
以下に述べる「神武一族に関わるからくり」は、「表12-1 神武~崇神復元年代の詳細」に基づくものである。

日本書記の記載を翻訳すると、神武天皇は1年次(元年)に誕生し、26年次に即位し、52年次で崩御したことになる。復元年代では、神武天皇はニニギ暦(西暦)162年(26歳)に即位し、175年(39歳)で崩御された。
ここでは、表題のからくりを中心に述べる。 
上記に神武天皇は、52年次で崩御したと述べたが、この神武の年代を伸ばしていくと、神武76年次となる。日本書記の記載では、76年次は神武の崩御の年である。神武77年次から79年次の3年間は、神武崩御後の跡目争いによる空位の期間である。
さらに、神武の年次を93年次まで延ばしていく。説明は後で述べるが、93年次は神武一族が滅びてしまう年である。

綏靖、安寧、懿徳の各天皇の復元年代
各天皇の復元年代は、「表12-1 」に記載したとおり、綏靖は181年(17歳)、安寧は崩御185年(19歳)、懿徳は195年(17歳)で崩御された。
最後の懿徳崩御195年を、神武の年次でいうと、前述した93年次である。
ということで、懿徳天皇を神武一族の最後の天皇であると仮定するなら、195年に一族の歴史が終わったことになる。
さて、これで終わりにしたら、神武一族の終焉を証明することにならない。

神武一族の終焉を証明
神武93年次、ニニギ暦(西暦)195年に何があったかよく見ると、次のようになっている。
神武93年次、195年に、第2代綏靖天皇が33歳で崩御する。33歳は、記載上の最終年次33年次を指す。
第3代安寧天皇は、57歳で崩御する。日本書記では、安寧天皇の崩御の年齢を、57歳と記載する。
第4代懿徳天皇は、34歳で崩御する。34歳は、記載上の最終年次34年次を指す。
3人の天皇が、たとえ記載上の数字であったとしても、同じ年に崩御するということは、編者が練りに練った「数字のからくり」であり、神武の時代が終わったことを示す。
懿徳崩御の後は、「孝一族の時代」に変わる。

上記の「からくり」だけでは、「神武一族の終焉を証明する」には物足りないと思われるなら、
別途、投稿済みの「神武天皇と懿徳天皇の34年のシンメトリック」(カテゴリ「シンメトリック」)を読まれることを進める。

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