「日本書記」(撰上720年)や「古事記」には、暗号が記載されている。
古代を知るためには、年代の復元が必要であるが、暗号は正しい年代を示唆してくれるはずである。
にもかかわらず、その後の人々は暗号の存在を忘れ、その意味を理解できなくなり、結果として年代解読ができなくなってしまった。なぜなのかを考えてみたくなり、「日本における暗号の歴史」を見たくなった。内容としては、暗号に詳しい方々の個別の記事をまとめたものである。時代とともに、暗号に対する認識が変わってしまったようである。
1)宗教関係と歴史書関係の暗号
原始仏教の経典とされる長阿含経は、地獄を描いている。兜率天の地獄から転生するには、852兆6400年を経たないとできない、という。最も巨大な数字は、5京3084兆1600年である。(筆者の計算では、兜率天の数字は852兆6400万年となる。上記の数字は「万」が抜けている。)
7世紀に日本に伝わった仏教では、仏を億万年という巨大な数字で表す。例えば、弥勒菩薩は釈迦の入滅後56億7000万年(または57億6000万年)の後にこの世に現れるという。現在は、兜率天で修行しているといわれる。同じ兜率天であっても浄土と上記の地獄との違いか、計算要素の一部をカットしたため、数字は小さくなっている。巨大であるがゆえに、神聖な数字として通用したのであろう。
8世紀になると、国の正史と云われる日本書紀が編纂され、ニニギ降臨の暗号「179万2470余歳」が示される。この時代には、暗号の重要性や役割が十分理解されていた。先祖が超越した力を持っていたことを表現するには、神に祭り上げることが必要であり、その際に用いる数値は、百万年の大きさである。神聖を表すために大きな数字を用いるのは従来どおりであるが、その数字の意味を暗号化によって説明を不要にした。「179万2470余歳」はそのような数字である。暗号としては、「神聖な数字を示し、示された数字を加算して総数を求め、隠された意味を探す。」という古代より世界中で用いられた暗号である。この場合の隠された意味とは、正しい年代である。
「179万2470余歳」は、先代旧事本紀にも記載されている。
日本書紀の記載内容が歴史となって定着してくると、記載内容に不満や欲が出てくる。先祖の記述が抜けていると気がつけば、新たな書物を著作しその穴を埋めようとする。
そのような書物に「古事記」がある。数字はすべて年代を示す暗号である。古事記は日本書紀より100年ほど後に出現した書物であるが、古事記の著者は日本書紀の年代のからくりを知っていたが、是正するというより、追従を選択した。しかし、神聖を表す大きな数字はなく、御年137年(日本書紀の179万2470歳に相当する。)という現実的な数字に近づいた。復元年代は、日本書記とほとんど変わらない。用いられた暗号は、独りよがりな、正解が分かりにくい暗号である。「神聖な数字を示し、示された数字を加算して総数を求め、隠された意味を探す。」という意味では、日本書紀の暗号と同じである。
13世紀に作られた「倭姫命世記」は神道書である。日本書紀の撰上から約500年を経た後の書物であるが、著作の中に日本書記と同じ暗号を引用した。著者も暗号の意味を理解でき、暗号の重要性を認識していたのであろう。
ここでは、日本書紀が作り上げてくれた神話を守る立場にいる、と同時に自らの存在をさらに強化する目的を持っている。「倭姫命世記」は、日本書紀に抜けているニニギ、ホホデミ、ウガヤの年代を神武以前に上乗せしたのである。用いられた暗号は、日本書紀の踏襲である。
その後の歴史本に関しては、「ほつまつたゑ」など、暗号を用いる例も見られる。
暗号としての進歩はほとんどないか、暗号を用いなくなる。
2)宮廷歌謡や庶民文化の暗号
8世紀後半、万葉集の巻十一 2542番の和歌は、「若草乃 新手枕乎 巻始而 夜哉将間 二八十一不在国(わかくさの にひたまくらを まきそめて よをやへだてる にくくあらなくに)」で、当時の知識階級なら八十一を九九と理解できたらしい。換字式(かえじしき)暗号である。
9世紀には、宮廷人を中心に多くの書物が作られるが、歌謡には宮廷文化を反映した「沓冠(くつかむり)」という暗号が用いられる。
の例として、紀貫之の「古今和歌集」巻4に「小倉山 峯立ち鳴らし なく鹿の へにけむ秋を しる人ぞなき」という和歌があるが、各句の初めに「おみなへし」が隠されている。分置式の暗号である。8~9世紀の宮廷人は、九九に見られるように知識をひけらかしながら、上品さを保つ。暗号は高級な遊びの道具として扱われる。
「いろは歌」(10世紀末~11世紀中葉の作)も「沓冠」である。七文字ごとの区切りの文字を読むと「とか(が)なくてしす(咎無くて死す)」となり、作者が埋め込んだ暗号と看做されている。別に、柿本人麻呂を作者とする暗号説もあるが、通俗扱いされている。
江戸時代になると、文化は庶民のものとなっていく。歌謡に用いられた暗号は、歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」や芭蕉の「奥の細道」に繋がる。
「仮名手本忠臣蔵」では、浪士たちが、討入りに尽力した堺の商人天川屋義平の「天」と「川」を合言葉とし、味方か敵かを判断した。後にこれが「山」「川」というように誤り伝えられたとされる。
「奥の細道」は、多くの謎を含んでいるとされる。芭蕉にも忍者・隠密説があるが、まだこれらの問題が十分解明されていない。
合い言葉や符牒(符丁)は、商業が発展すると、同じ仲間にしか分からない隠語として様々な分野(市場における商取引など)において用いられ、広がった。
これらの暗号は、幼稚な数字の組み合わせや言葉の置き換えであったことから、低俗なものと看做される。
3)国家機密や軍事関係の暗号
日本書紀巻3神武天皇元年の記事に、「道臣命は、神武天皇の密命を受けて、倒語(敵にわからせず、味方にだけ通じるように定めた言葉)をもって、わざわいを払いのぞいた。」とある。暗号の意味で、「倒語(さかしまごと)」が用いられた。
割符(さいふ/わっぷ)は、中世日本において遠隔地間の金銭取引などの決済のために用いられた。室町時代には勘合貿易で正規の貿易船である証として利用された。
時代が下ると、割符を用いた取引が、闇取引や犯罪と結びつけられるようになる。
戦国時代には、兵法が重要になる。上杉謙信の軍師が著した兵法書に「字変四八の奥儀」があり、暗号の作り方を示している。「換字式暗号」とよばれるもので、古代の代表的な暗号である。
BAMBOO COMICS 実録忍者列伝によると、風魔衆は「立ち選【すぐ】り居選り」という合言葉を用いていた。「風」といったら立ち上がり、「雲」といったら座るという合言葉である。これで武田の間者はあぶりだされたという。(?)
1905年、日本海海戦は、日露戦争中に日本とロシア帝国との間で戦われた海戦である。
連合艦隊は大本営に向け「敵艦隊見ユトノ警報ニ接シ聯合艦隊ハ直チニ出動、コレヲ撃滅セントス。本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」と打電した。実際の電文は「(アテヨイカヌ)ミユトノケイホウニセツシ(ノレツヲハイ)タダチニ(ヨシス)コレヲ(ワケフウメル)セントス ホンジツテンキセイロウナレドモナミタカシ」で、暗号と平文の混じった不思議な電文である。平文の個所は、暗号ではないが、関係者なら理解できるとされる。推測として、海が荒れて計画していた水雷作戦が行えないので、砲戦主体による戦闘を行うの意味とも云われている。戦後になると、「敵艦隊見ユ・・・・。本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」は、暗号から離れ、文学上の名文とされてしまう。
また、連合艦隊旗艦「三笠」はZ旗を掲揚した。この時の信号簿では、Z旗は「皇国ノ興廃、コノ一戦ニ在リ。各員一層奮励努力セヨ」という文言が割り当てられていた。
太平洋戦争直前からは、通信が傍聴されるため、暗号が必要とされた。
1937年 、暗号機が完成。日本海軍は九七式印字機、外務省は暗号機B型と命名する。
1939年 、パープル暗号は重要な海外公館であるワシントン、ベルリン、ロンドン、パリ、モスクワ、上海、北京等で運用を開始する。パープル暗号(PURPLE)とは、1937年から敗戦まで日本の外務省が使用していた暗号機B型による外交暗号に対してアメリカ軍がつけたコードネームである。
1941年 、アメリカ陸軍はパープルの模造機を完成。1941年だけで227通のうち223通の解読に成功したといわれる。これ以降、国家機密や軍事情報は米国に筒抜け状態となる。
1941年4月、大島駐独大使はドイツから「駐米大使宛の外交暗号がアメリカ国務省に解読されている」と警告を受ける。しかし、何ら対策を講じなかった。情報の重要性及び情報伝達における暗号の役割を全く理解していなかったのだ。
1941年12月、日本海軍が真珠湾を奇襲し、太平洋戦争が始まった。その際、日本は真珠湾を奇襲した後で対米最後通牒を手交した。「日本によるだまし討ち」は、アメリカの世論を動かすのである。
また、アメリカは外務省より最後通牒を手渡される30分前には全文の解読を済ませていたことが明らかになっている。これがアメリカ側による「真珠湾攻撃謀略説」である。
1942年6月、ミッドウェー海戦は、日本海軍主力機動部隊による奇襲作戦であった。作戦は失敗し、暗号解読により手の内を知ったアメリカ海軍の奇襲攻撃を受け、虎の子の空母4隻、全ての艦載機、優秀な人材を失った。開戦から僅か7カ月であり、これ以降は消耗戦に突入する。
4)現代の暗号と古代史の関係
暗号が復活した時代である。暗号は身の回りにあふれている。
金融機関で僅かなお金を動かすにも暗号が必要である。しかし、多くの人にとって、暗号という認識は薄く、暗証番号に生年月日や住所を用いる。
推理小説など文学作品、あるいは推理ドラマにも、暗号が取り込まれていて、解き明かされる様子を楽しんでいる。
しかし、日本書紀に記載されている暗号は相変わらず無視されている。暗号の歴史を調べ、書いてくれているのは、コンピュータ関係や無線関係の人、その他さまざまな分野の方たちで、必ずしも記紀の年代解読に関わるわけではない。年代復元に関わる学者の多くは、暗号の歴史に疎く、暗号が重要であるという認識が薄いのである。