日本書紀に用いられた4倍暦の年代変換表
神武天皇から仁徳天皇までは、4倍暦を用いている。
復元年代は、計算式でいうと3種類ある。そのことを理解しないと正しい復元年代は得られない。「表105 4倍暦の年代変換表」を見てください。
1) 神武天皇即位年BC660年を基準にした年代変換(神武暦を用いた年代変換)
開化から応神まで適用されている。
2) 神武天皇太歳干支付与年(東征開始年)BC667年を基準にした年代変換
仁徳のみ適用される。神武から始まる4倍暦の最後の天皇として、特別な扱いである。
3)上記2)から7年を引いた年代変換
神武、孝昭、孝安、孝霊の復元年代に用いられている。
BC667年を基準とした計算に対し、7年分を引いているため、基準年がBC660年になっているが、BC661~BC667年の7年間は実年(等倍暦)であり、計算内に7年を取り込んだ後で、7年を引くため1)のBC660年を基準とした変換とは異なる。
1)と2)とは、1.75年(2年)の年代差を有する。
1)と3)とは、5.25年(小数点の関係で、5年または6年)の年代差を有する。
なぜ、3種類も年代変換方法があるのか
開化以前と崇神以降の作成年代が違うため、基準の取り方が変わったことが考えられる。開化と崇神の接続が悪いのは、このためかもしれない。
実際に年次表から解読すると、開化天皇までは2倍暦を基本にし、それをn倍している。言い方を変えれば、n倍の部分を削除すると、有効年代は2倍暦になっている。即ち、記載された有効年代の2年分が実1年である。なお、神武天皇から開化天皇までの期間(空位年を含めた合計在位)は、n倍が2倍になっているから、2倍暦の2倍と考えてよい。従って、期間に関しては、4倍と見做せる。
崇神天皇の場合は、即位前までは、上記の手法に従っているが、即位302年以降は実年を4倍にしている。4倍は仁徳まで続く。
同じ4倍の表現となっても意味は全く異なる。その際に、4倍暦の基準の取り方が変わったと考えられるのである。
また、編者らはあらゆる面で一律で処理することを嫌っている。その表れと考えることができる。
年代変換の基準年?
年代変換表には基準年として、161.75年と161年の2通りを記した。計算上は161.75年が正しい。しかし、編者がそのように計算したかどうかを考えなければならない。
便宜的に、161年の計算を記したが、161年は実年で正しい年代である。この場合も小数点以下の処理に疑問が生じる。1年程度の誤差があると見なければならない。
4倍暦の利用の仕方
4倍暦は、期間の計算において有力であるが、年代との関係は問題が多い。3種類の年代変換方法があることも、どれが正しいか明確にできない原因になっている。
さらに、次の点は極めて重要である。
「単純に計算された年代を用いたとは言い切れない。例えば、仁徳崩御の年代は計算上248年の可能性があるが、もともと正しい年代が分っていたかどうか疑問である。とすると、248年という数字は、凶に当たり、選択されることはない。247年が浮上するのは多分その辺の事情があるものと考えられる。要するに、4倍暦にしがみつくと誤る恐れがある。」
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