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2009年7 月 1日 (水)

崇神天皇~清寧天皇の合成年次表の特徴

以前、神武の復元年代をみて、「日本書紀の最高傑作にめぐり合えた」と述べた。
年代を復元するため、数字のみを追いかけてきたが、復元された[合成年次表]に対して感じた素直な気持ちである。崇神天皇~仁徳天皇の「合成年次表」に対しても同様である。
きれいに出来上がったからではない。今までに日本書紀の年代解読を試みた方なら、編者が考えた年代の構成に驚かれるはずである。
「表12-2 崇神~仁徳の復元年代の詳細」に基づき、特徴を述べる。

表12-2 崇神~清寧の復元年代の詳細

崇神天皇~仁徳天皇の年代は創作によるものである。合成年次表を見ていると、編者らがどのような考え方で作成したかがよく分るはずである。
合成年次表の備考欄には、「年代復元に対するチェック事項」を挙げている。
例えば、「崇神48-20垂仁立太子」は日本書紀に記載されたものである。従って、チェック事項を満足しないなら、復元が正しいとはいえないことになる。数字などをどのように解釈するかが重要な意味を持ってくる。

立太子の記載年代が誕生年
垂仁、成務、仲哀の3天皇は、「立太子の記載年代が誕生年」である。立太子の年齢は正しく、実年齢の立太子年の年齢として活かされている。
注1) 垂仁の場合、「立太子の記載年代が誕生年」とすると、1年のズレが見られる。この1年のズレについては、別途説明する。編者としては「立太子の記載年代が誕生年」を考えていたと思われるが、年代構成に何らかの問題が生じ、1年ズレが残ったままとなってしまったと考える。
景行の場合は、垂仁と連携した年代構成になっている。垂仁の実年齢に合わせて景行の記載年齢が構成されている。垂仁の実の誕生年と景行の記載上の誕生年が同年になっている。
さらに、景行の立太子年が極めて巧妙な設定になっている。景行の実の立太子年齢21歳を同年の記載年齢37歳に合わせ、垂仁の記載年齢37歳と同年を景行の誕生年としている。
説明より表を見ていただいた方が分り易いであろう。筆者は、「年齢を用いた見事なからくり」だと思うが、いかがであろうか。

応神の実年齢は、記載された誕生年363年と在位41年がキーになっている。最も特異な、神功皇后を出しに使ったからくりである。神功皇后の在位分が他の天皇の在位を少なくさせており、関係天皇は垂仁から応神までの各天皇である。
神功皇后に関する記事を見ていただければよい。

前の天皇の即位年または崩御年が誕生年
仁徳以降の多くの天皇の誕生年の決め方は、「前の天皇の即位年または崩御年が誕生年」となる。いずれも実年齢、実在位である。
仁徳の誕生年は、応神の即位年に当たる。
反正は、仁徳の即位年に誕生する。
安康は、反正の崩御年に誕生する。
清寧は、雄略元年に誕生する。(雄略即位年は、安康の崩御年であるため)

履中の場合は、記載にある[仁徳31年、履中立太子15歳]から年代を見ていく。とんでもないと思われる「年齢(数字)のからくり」がここにある。
仁徳の実年齢は、記載年齢に対し40年減じている。実年齢の31歳は記載年齢では71歳であるが71の逆数は17歳である。仁徳の実年齢17歳のとき、履中が誕生する。
反正の場合は、履中2年に誕生したと記載されている。履中2年は履中2歳のときではなく、履中の実在位における2年次が誕生年である。

允恭の場合は特別である

日本書記の記載では、允恭崩御年42年次は西暦453年に相当する。42年次を42歳とすればよい。
古事記においては、允恭崩御年が454年であり、日本書記と1年違いである。記紀は、允恭崩御年に関する年代で、ほぼ一致していたことになる。ただし、筆者の解読では允恭はさらに6年年代が下り、崩御は48歳となる。記紀の編者は、共通の認識を持って、これを隠したことになる。

「合成年次表」を見れば、編者の「記載年齢と実年齢のからくり」の様子がよく分る筈である。
なお、読者の中には、筆者が作り込んだと勘違いされるのを恐れる。筆者の用いたチェック事項は、記載された生の情報である。年齢を考えるにあたって、推定から始めることはあっても、チェック事項を変えることはしていない。それどころか、チェック事項の扱い方によっては次のようなことが起こる可能性があり、注意を要するのである。
例1) 記載された生の情報が、仮に「仁徳21年次」とされていても、信じられるのは[21]のみである。復元時には、21年次、21年、21歳のすべてが考えられるのである。
例2) チェック事項が「仁徳21-11履中」とあったとき、それぞれの数字から10を減じ「仁徳11-1履中」と変換してはならない。倍暦が考慮されないためである。

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