『ほつまつたゑ』の天鈴(アスズ)暦の解読
前回投稿の記事「『ほつまつたゑ』の暗号解読に思うこと」で次のように述べた。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると、『ほつまつたゑ』は、アメツチの始まり(天地開闢)から、カミヨ(記紀にいう神代)、そして人皇初代のカンヤマトイハワレヒコ(神武天皇)を経て人皇12代のオシロワケ(景行天皇)57年までを記述している。
筆者の計算では、景行56年次までの記載であり、天鈴暦の計算で1年狂いがある。すべての年代をチェックしなければならないようである。
物事には、明確なことと不明確なこと、あるいはその中間のレベルとさまざまである。暗号解読のようなことを行っていると、1年の食い違いは大きい。既に、松本善之助氏始め多くの方が「天鈴(アスズ)暦」について解読されていると思っていたが、そうでもないらしい。
天鈴(アスズ)とは、60年ごとに回っていく干支の甲子の年を基準に計算される。従って天鈴(アスズ)61年は天鈴(アスズ)1年に戻る。
天鈴(アスズ)暦とは、「地の巻」において名付けられ、「人の巻」の年代に適用される。
天鈴(アスズ)暦の紀元は、西暦前717年甲子の年であるが、神武誕生年、西暦711年庚午の年の直前の甲子の年を紀元とした。以降は干支一周60年にこだわらずに、年数を加算していくのである。
『ほつまつたゑ』の最後の40-50綾には、「アスズ八百四十三年」と記載されている。
843年とは、60の倍数840を引くと3年が残る。甲子1年とすると、3年は丙寅となる。
日本書記の景行元年は、太歳辛未、西暦71年である。アスズ843年丙寅の年は西暦126年であり、景行56年次に当たる。
その他のアスズ暦の解読も、上記と同様の方法によって読み取れるので、説明を省略する。
なお、アスズ暦から西暦を求める場合は、次の式による。
西暦Y=アスズ暦X-718(ただし、西暦前の場合で、西暦元年以降は、Y=X-717)
アスズ暦326年は干支の記載がないが、上記式により、西暦Y=アスズ暦X326-718=-392年(BC392年)となり、日本書記に記載された孝安天皇即位元年を示す。
述べたかったことは、上記にも示した通り、『ほつまつたゑ』が記載する「人の巻」の年代は、日本書紀の記載年代と全く同じなのである。各天皇の太歳干支が付与された元年の年代を天鈴(アスズ)暦で示しているにすぎない。(注、神武崩御後の綏靖の年代のみ不明確な点があるが、3年間の空位年を考慮すれば、一致する。)
誤解されては困るから言っておくが、日本書記に一致しているのは年代に関してのことであって、文面の内容については無視している。
最も重要なことは、天鈴(アスズ)暦の各年代の月日の記載である。第一に、日本書記には、天鈴(アスズ)暦の数字は表れない。第二には、各天皇の即位元年を示しているが、月と日付は日本書紀と一致しない場合が多い。これこそ、『ほつまつたゑ』の編者が創作した、正しい年代(復元年代)を示す暗号である。
暗号自体は、語呂合わせのようなもので規則性はほとんどない。しかし、日本書記や古事記などで事例の少ない崇神天皇の復元年代(崇神元年西暦302年、崩御318年)を示していることが特徴といえる。「ニニギ降臨の暗号179万2470年」が神武天皇の復元年代(即位西暦162年)を示していることを考えると、これで復元年代の穴が埋められることになる。
「表117 ほつまつたゑの暗号解読結果」を見ていただきたい。
現状の暗号の解読結果には大いに不満がある。解読方法が悪すぎるのかもしれない。『ほつまつたゑ』の編者は、天鈴(アスズ)暦などの数字の扱い方、あるいは治天下の暗号の作成方法において、特異な才能を発揮している。こんな語呂合わせのような暗号では物足りなさを感じる。
後に残ったのは、「天の巻」および「地の巻」に記載された「治天下の暗号」の解読となる。
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