神武天皇在位14年のシンメトリック
日本書紀の編者は、シンメトリックを年代構築のための主要な手法として位置付け、多用した。年代解読の初期の段階で、シンメトリックが果たした役割は大きい。最近は、記載年代のシンメトリックではなく、復元年代にも有効なシンメトリックがあるのではないかと考え、チェックしてきた。
表題の神武天皇の在位14年に関わるシンメトリックは、何でこんなことをしたのか疑いたくなるほどの、奇妙なシンメトリックである。それだけでも紹介する価値があると思われる。また、神武~懿徳の4天皇が関係する在位14年のシンメトリックは、各天皇の在位を明らかにする最重要のシンメトリックである。
添付する「表12-1 神武~崇神復元年代の詳細」を見ていただきたい。
神武天皇在位14年のシンメトリック
筆者は、このシンメトリックを「神武天皇在位14年のシンメトリック」と名付けてみた。「神武復元在位と延長在位のシンメトリック」でもよいかも知れない。
神武天皇の復元在位は、神武即位26年次、神武26歳から神武崩御52年次、神武39歳までである。その期間(在位)は、年次では27年次あり、年齢では14年である。なぜ年次の数字と年齢が異なるかというと、年次は2倍暦でできているが、年齢は2倍暦を解消した数字である。
他方で、神武崩御翌年53年次、神武39歳以降は神武の年代が延長されている。年代の延長の終わりは、神武79年次、神武52歳までである。その期間は年次では27年次、年齢では14年である。
年次で27年、年齢で14年のシンメトリックが成立する。14年は神武の復元在位である。
神武76年次からややこしい計算で、0.25年足りないとかやっていることからすれば、神武の年齢のシンメトリックからは、ズバリ14年の在位が得られる。
このシンメトリックが示唆すること
ところで、このシンメトリックの面白いのは、「実の在位」と「延長された部分(架空の在位)」のシンメトリックである。そのように理解すれば、神武の年代が2倍暦を基本にしてできていることが分る。極めて重要な示唆を含むシンメトリックである。
また、神武崩御の後の3年の空位の位置付けも、神武の年代に関与していることを示唆する。即ち、日本書記の編者は、神武79年次に記載された皇子間の争いも、神武天皇に関わる出来事であるとしている。
もう一つの「14年のシンメトリック」(最重要)
14年のシンメトリックは、もう一つある。上記の「神武復元在位14年」と対になるシンメトリックであり、神武66年次から神武93年次までの28年次(14年)である。このシンメトリックの特徴は、シンメトリックの間に空位2年(実1年)と綏靖の在位実5年を取り込んでいる。また、シンメトリック自体は、安寧在位実4年と懿徳在位実14年からなり、合計14年になる。
このシンメトリックは、神武、綏靖、安寧、懿徳の4天皇が関係する極めて重要なシンメトリックである。各天皇の在位と空位の合計年数は実34年となる。
筆者が、別途紹介している「神武天皇と懿徳天皇の34年のシンメトリック」と一体で考なければならない。このシンメトリックは、上記34年のシンメトリックが示せない個々の天皇の在位を明らかにする点で、最重要なシンメトリックである。
コメント