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2009年11 月29日 (日)

先代旧事本紀のクロスワードパズル(応神天皇復元年代編)

先代旧事本紀に記載されている年代(月日を含む)は、日本書紀と同様に復元年代を秘めた暗号である。
既に、「先代旧事本紀の暗号について」において解読した結果の一部を紹介しているが、復元年代そのものに興味がなければ、解読に用いた計算などを見ても決して面白いものではないであろう。(面白がっているのは、解読している当人だけかもしれない。)

ところで、先代旧事本紀の暗号持、基本的には日本書記と同じ作り方をしているが、暗号である年月日の数が少ないこと、月のみで日付がないケースが多いことなどから、数字を有効に活用している。
言葉で説明すると厄介であるから、応神天皇の復元年代の例を見ていただきたい。
「表120 先代旧事本紀のクロスワードパズル(応神復元年代編)」

表120 先代旧事本紀のクロスワードパズル(応神復元年代編)

「クロスワードパズル」としたが、数字のみのパズルと思っていただけばよい。「問題」の欄に記載したのは、先代旧事本紀の応神天皇に記載された年月日である。「答」の欄に記載したのは解読結果である。「答」の欄に記載した数字は「問題」の欄の位置に合わせている。
「答」は、何通りかあり、記載された同じ数字が複数回用いられている。この点が日本書紀の暗号と異なる。前に述べたとおり、僅かな数字で多くのことを示したかったのであろう。
敢えて、「クロスワードパズル」という表現を持ち出したが、個々の記載年代を暗号として創作するだけではなく、縦と横を(年と月日を)組み合わせた暗号になっている点をみれば、まさに「クロスワード(数字)パズル」と呼んでもよいのではなかろうか。
近年パズルが流行っているそうである。千数百年前に、「先代旧事本紀」の編者も大いにパズル(暗号)の創作を楽しんだと想像する。

応神天皇の場合は、5個の年月日で、復元時の誕生年、即位年、即位年齢、崩御年齢、在位を示す。崩御年代は、上記の情報から計算で容易に得られる。
(ただし、すべての天皇の暗号がこのようになっているわけではなく、応神天皇の暗号がこの点で際立っているといえる。)

「先代旧事本紀」の各天皇の記事は、日本書紀に比べれば簡潔に書かれている。また、記載年代の暗号は、日本書紀よりは一層高い密度を以て復元時の年代などを示している。
筆者の場合は、既に「日本書記」および「古事記」によって復元年代を解読しているため、「先代旧事本紀の暗号は、易しい暗号である」と言いたいところであるが、仮に「日本書記」および「古事記」を解読する前に「先代旧事本紀」に取り組んだとすれば、情報が限られており、多分難しすぎて解読はできなかったと思われる。

筆者は、「拳拳服膺」というサイトを運営しておられるHISASHI氏による現代語訳を利用させていただいている。感謝申し上げる。

2009年11 月 8日 (日)

先代旧事本紀の年月日の暗号について

先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)は、「 日本大百科全書」(小学館)および フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」の記述によると、次のような書物である。
平安初期に編纂されたと推定される歴史書で、偽書とされる。本書の序には、620年(推古天皇28)聖徳太子、蘇我馬子らの撰録するところと記す(「日本書紀」推古28年(620年)に相当する記述がある)が、「古事記」「日本書紀」「古語拾遺」などからの引用があるので、本書の成立は平安初期である。実際には大同年間(806年~810年)以後、延喜書紀講筵(904年~906年)以前と推定されている。全10巻、神代から推古(すいこ)天皇に至る歴史を記し、また「国造本紀(こくぞうほんぎ)」という独自の記録を収録。著者は未詳であるが、「天孫本紀」には尾張氏および物部氏の系譜を詳細に記し、またほかにも物部氏関係の事績が多くみられるので、本書の著者は物部氏の一族と見られている。
なお、編纂者の有力な候補として、国学者御巫清直(みかんなぎきよなお 1812-92)は明法博士の興原敏久(おきはらのみにく)を挙げている。この人物は物部系の人物(元の名は物部興久)であり、彼の活躍の時期は「先代旧事本紀」の成立期と重なっている。

筆者が、先代旧事本紀を取り上げるのは次の理由による。
先代旧事本紀、巻第六 皇孫本紀の磐余彦尊(いわれひこのみこと)の記事には、次のような記載がある。
天祖(彦火瓊瓊杵尊、ひこほににぎのみこと)が天下られてより、百七十九万二千四百七十年余りである。」
日本書記の記載、「ニニギ降臨の暗号百七十九万二千四百七十余歳」と同じである。
先代旧事本紀の編者は、伊達や粋狂で、「ニニギ降臨の暗号」を記載したのではないその意味が分っていたからこそ記載したのである

当然のこと、記事の「年月日」も暗号であり、復元年代などを示す。「ニニギ降臨の暗号」は既に解読済みであるから、「年月日」に焦点をあてればよい。
冒頭に述べたとおり、「古事記」「日本書紀」などからの引用であり、一層簡潔な表現になっている。「年月日」も同様に、その数も少ないし、年月のみで日付のないものが多い。
先代旧事本紀の年月日の解読は、年月日の数字の数が少ない分だけ、日本書記の解読よりは容易である。
また、年代は神武暦ではなく、ニニギ暦で書かれている点も特徴になっている。ニニギ暦に気付かないと暗号は解読できないことを示している

解読を始めたばかりなので、ある程度答えが得られた段階で纏めて紹介することにする。
言いぱなしでは申し訳ないので、いくつかの面白そうな例を述べておく。

追記(2009/11/11)
11月11日の各新聞に、「奈良纏向遺跡、卑弥呼の祭祀空間か、3世紀最大級建物跡」(毎日新聞)、「邪馬台国論争ゴール近し、纏向遺跡」(産経新聞)などの卑弥呼と邪馬台国の記事が各新聞に出ている。
例2孝安天皇および例3孝霊天皇の解読結果を追加した。これで、古事記、日本書紀、先代旧事本紀のすべてが、「248年」の卑弥呼の年代を示していることになった。

例1懿徳天皇の年代
元年2月4日、9月、2年正月、2月、3月、22年2月12日、34年9月、10月
「22年2月12日」を除く合計値77[1+2+4+9+2+1+2+3+34+9+10=77]
「22年2月12日」の解読:「22年2月12日」の記事[孝昭を皇太子とする。年18歳]を参考にすると、「二十二年二月十二日」は、18[2+12+2+2=18]
合計値95[77+18=95]⇒195年(懿徳崩御)

例2孝安天皇の年代
二年十月、三年八月、二十六年
2+38+2+6=48→248年(孝安崩御=卑弥呼死)
七十六年、百二年正月、9月
「百二年」は、200年
「七十六年」は、十三(7+6)で、プラス3年
5(正)×9プラス3=45+3=48→248年(孝安崩御=卑弥呼死)

例3孝霊天皇の年代
元年正月、2年2月、3年正月、36年正月
解読:年のみの合計値42[1(元)+2+3+36=42]
   月のみの合計値17[5(正)+2+5(正)+5(正)=17]→17は「十七」であり、プラス7
   年月加算49[42プラス7=49]⇒249年(孝霊・壹与即位)
76年2月
解読:逆読み267年(孝霊崩御)
注)孝安崩御248年、孝霊即位249年、崩御267年は、日本書記および古事記の結果と同じ

例4仲哀天皇の年代
8年正月、9年2月5日、22日
解読:9×(2+5)+(8+5)+(2+12)=63プラス3+14=80→380年(仲哀崩御)
注)上記の例は、面白い例として挙げたが、他にも次のような容易な解読方法がある。
元年、8年、9年
解読:年数を加算18[1+8+9=18]、十八の逆数は八十で、380

例5反正天皇の例
6年正月6日
解読:上記年月日は正を挟んでシンメトリックを作っている。在位7年[6+1=7]を示す。
注)日本書紀では、在位5年と記載するが、復元在位は7年である。
允恭天皇5年11月11日に反正天皇を陵に葬る記事がある。
5年11月11日
解読:5+1(十一)+1(十一)=7→在位7年
3月15日、10月4日
解読:35プラス4=39→439年
注)在位5年とすると437年と読めるが、在位7年とすれば439年で正しい。

いろいろなタイプの暗号を紹介したが、上記のとおり、先代旧事本紀の解読結果(復元年代)は、日本書紀および古事記の解読結果と一致している。
この記事だけを見て、「暗号の存在と解解読方法を信じろ」といってみても、すぐには信じられないかもしれない。押し付けるつもりはないが、他の記事を読んでもらえば自然と分ってくるはずである。