古事記の懿徳天皇と孝昭天皇の御年の出所は、日本書紀である
古事記の懿徳天皇の御年45歳や孝昭天皇の御年93歳の数字がどのようにして得られたかについて、今まで分らなかった、
解読できたので、関係記事「古事記の暗号解読と復元年代」(カテゴリ「古事記の暗号」 2009/10/25改訂)に追加記載した。是非、お読みいただきたい。
神武暦93年次には、神武は59歳である
孝昭天皇の御年93歳は神武93年次を指す。日本書記には76年時までしか記載されていないから93年次など気付くはずもない。しかし神武の年次をそこまで延ばしたのは、神武一族(神武~懿徳)の年次を示すためである。懿徳崩御年が93年次になる。
また、神武の実年齢を伸ばしていくと93年次には59歳になっている。
59歳が懿徳の崩御年代の計算に用いる数字である。
では、懿徳に記載された御年45歳は何を意味するのか?
懿徳天皇の45歳は、綏靖天皇と同じである。45歳で計算すれば当然綏靖の崩御年になるだけで、既に分かっていることである。
この意味は、懿徳の計算においては、「綏靖に注意して計算しなさい」ということになる。
そこで登場するのが、シンメトリックである。神武一族全体に存在する14年のシンメトリックであり、ここでは綏靖の御年45に14年を加算すれば、懿徳の計算に必要な59が得られるということを示唆する。在位に直せば、安寧の在位4年と懿徳の在位10年を加算した数字が14になるということになる。
ここまで分れば、懿徳天皇の年代は、計算するだけである。222年が得られる。
さて、古事記の編者は、「神武93年次、神武59歳」を、どうして知っていたのか?
古事記の解釈に対し、新しい情報が得られた。答えを出すには、まだ早すぎる。もう少し情報を集めた方がよいと思われる。
コメント