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2009年11 月13日 (金)

三大史書(日本書記、古事記、先代旧事本紀)の復元年代は一致

ここで取り上げる古史・古伝は、「古事記」、「先代旧事本紀」、「倭姫命世記」、「秀真伝(ほつまつたゑ)」および「群書類従巻第六十」である。
いずれも、日本書紀に記載された「ニニギ降臨の暗号一百七十九万二千四百七十余歳」(古事記は、ホホデミ580歳)を掲げる書物である。
また、これらは「偽書」といわれている。

偽書かどうかを争う学者の記事は見かけるが、記述の中身、特に暗号を解読した復元年代に関する記事を見たことがない(関係する書物もあるようだが、筆者はパソコン上からだけしか見ていないので、こういう表現になってしまう)。まして、これらに記載された暗号を解読すると、日本書記の復元年代にほぼ一致するのであるが、そのことに関しての見解も見たことがない。(正しい復元年代が示せないのだから、当然のことである。)

正史とされる日本書記の復元年代を明らかにすることは、重要である。」
上記の古史・古伝を一律に扱う必要はないが、少なくとも、日本の古代史を書き残した三大史書ともいうべき「日本書記」、「古事記」、「先代旧事本紀」の復元年代が一致することは、従来の復元年代解明のための考え方及び対応方法に基本的な間違いがあることを示している。

先ず偽書としての扱い方に問題がある。
一般に偽書だとする方には、内容についても信じられないものとして扱うきらいがある。(学者の中には、たとえ偽書だとしても、参考になることが含まれるという意見の方もおられる。)
古事記の場合は、たとえ偽書だとしても、古事記が示す年代と全く異なる「偽書・弘仁私紀序」を以て、古事記を評価、判断することは明らかに間違いである。
「日本書記」、「古事記」、「先代旧事本紀」は、それぞれが持っている創作の動機、目的は異なる。しかし、共通点がある。いずれも、年代に暗号を用いて正しい復元年代を書き残した点である。さらに言えば、上記書物は、一致する復元年代を示すことである。

重要なことは、偽書かどうかの問題ではなく、内容、特に記載年代にとらわれることなく、復元年代に関する内容まで踏み込んだ結果として、信じられるか信じられないかを判断したのか、という点にある
言い換えれば、記紀の復元年代に取り組む方々が、「日本書記」、「古事記」、「先代旧事本紀」に記載された年代の暗号を解読し、復元年代を検討してこなかったことに問題がある。
「古事記は、年代が明確ではないから、歴史書として扱えない。」というような見解を目にすることがあるが、浅はかである。

「古事記」、「先代旧事本紀」が偽書であるかどうかについて、解明すること自体は重要なことである。偽書でないとすれば、作成された時期は、日本書紀の年代と重複することになる。偽書だとすれば、作成された時期や作者や作成の動機が分かれば、判断の参考になる。
「古事記」が偽書だとする見解では、日本書記が献上されてから100年以内、「先代旧事本紀」の場合は、完成が820年代だとすると、やはり、日本書記に遅れること100年程度の書物となる。このような条件のもとで三大史書の関係を推測すると、次のように考えられる。

日本書紀の編者は、正史を作成するために、先ず、正しい年代(復元年代)を作成し、それに基づき、延長した年代を作成した

日本書記の編者は、始めて正史を作成するにあたって、延長した年代を用いた歴史を作り上げた。と、同時に、正しい年代を暗号として書き込んだ。正しい年代を書き残したのは、一編者の思い付きではなく、編纂の方針であった。延長年代と正しい年代を、二重構造として持ち、正しい年代を残すには暗号を用いる以外の方法はない。正しい月日が分るはずもない中で、几帳面に月日まで記載したのは、正しい年代(復元年代)を伝えるための手段(暗号)として利用するためである。手間暇をかけてでも正しい年代を書き残したのは、編纂の方針であり、編纂の責任者および編者の良心である。

日本書紀の編者が持っていた正しい年代は、日本書紀の献上後、どのように扱われたのであろうか。献上と同時に完全に消されてしまったのであろうか。そんなことはあるまい。表には出ないものの、関係者の間には正しい年代に関する情報が残っていたと考えられる。

古事記および先代旧事本紀の編者らは、日本書記の編者が持っていた正しい年代を知っていた古事記および先代旧事本紀の編者らは、自らの動機、目的に従って編纂したが、日本書記が年代を大幅に延長したことにはある種の理解を持っていた。また、日本書紀の記載内容が誤っていたとしても、時代が要請する内容であるなら、同調することができた。例えば、倭の女王卑弥呼、神功皇后による新羅征討や中国への朝貢に関しては日本書紀に追従し、明らかにしようとはしなかった
その結果、古事記および先代旧事本紀も、日本書記と同様に、記載年代と正しい年代の二重構造となり、正しい年代を暗号で記載した

もしかすると、当時の歴史書の編者らは、年代を延長したり、変えたりした場合には、何らかの方法で正しい年代を記載しなければならないという考え方を持っていたのかもしれない。他国の歴史書と根本的に異なる点である。
その後、日本書紀の記載内容が独り歩きをし始め、さらには、暗号は低俗なものとして扱われるようになり、正しい年代の解読方法を失ってしまった

では、なぜ正しい年代が解明できなかったのか?
筆者の考えは、すでに過去の記事に述べてきているので、ここでは省略する。

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