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2009年10 月30日 (金)

神武天皇と懿徳天皇の34年のシンメトリック

日本書紀の記載上のシンメトリックは、「シンメトリックの最高傑作を紹介する」で述べている。
筆者は、上記以外にも、記載上のシンメトリックを数多く発見した。日本書紀の編者は、シンメトリックを年代構築のための主要な手法として位置付け、多用した。年代解読の初期の段階で、シンメトリックが果たした役割は大きい。しかし、シンメトリックは、重要な手法であるが、復元年代の決め手になるかといえば難しい面がある。根拠が弱いためである。

シンメトリックは年代構築のための主要な手法

復元年代においてもシンメトリックが存在する。有効なシンメトリックかどうかは、読まれる方々の判断に任せるが、次のシンメトリックは復元年代の正しさを判断するために極めて有効であり、重要なシンメトリックと考える。
「表12-1 神武~崇神復元年代の詳細」に基づき、「神武天皇と懿徳天皇の34年のシンメトリック」を説明する。

表12-1 神武~崇神復元年代の詳細

「表12-1 神武~崇神復元年代の詳細」は、数人の天皇の年齢の動きを一表にまとめた「合成年次表」であり、2倍暦で書かれている。「合成年次表」の記載年次の欄は、神武の年次である。復元においては、西暦前660年が神武1年次(元年)であるが、復元では前660年が神武誕生年であり、前635年を即位年とするため、神武26年次から始まっている。
神武の在位欄は、前635年の即位年を元年(1年)としたときの神武の在位を示す。
なお、「合成年次表」が前635年の即位年から始まっているのは、復元の作業をし易くするための便宜的なものである。復元年代(西暦)の欄に記載した「162年」が「前635年、神武26年次」に対応する正しい復元年代である。

懿徳天皇の年代
懿徳については、「安寧11年、安寧40歳。このとき懿徳立太子16歳」と記述されている。
上記を基づき、合成年次表上を見ると、神武75年次のとき、安寧40歳、懿徳16歳である。
懿徳誕生年は西暦前601年、神武60年次にたどり着く。
懿徳崩御は、懿徳年次表の34年次が該当し、34歳である。合成年次表における懿徳崩御の年代は前568年、神武93年次であることが分かる。

シンメトリックの存在を確認
記載年次で見ると、神武側は神武26年次(復元在位1年)から59年次(復元在位34年)までの34年間、懿徳側は神武60年次(復元在位35年)から93年次(復元在位68年)までの34年間の、片側34年間のシンメトリックが成立している。
34年のシンメトリックの合計年数は64年であるが、上記の表は2倍暦であるから、実年に置き直すと34年となる。

神武一族の在位は、34年
34年は、神武即位から懿徳崩御までの神武一族4代の合計在位であり、実の年数である。即ち、神武一族が在位したときの復元年代は、西暦162年から195年までの34年間である。(次は、「孝」が名前の頭につく孝昭一族の時代になる。)
シンメトリックの威力を理解していただけたであろうか。

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