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2009年6 月21日 (日)

悩みの種・・・「記紀の年代解読における1年の誤差」

筆者の復元年代は、他の学者の方々の復元年代とは違うようである。筆者の復元年代、例えば神武天皇誕生西暦137年、神武天皇即位162年は確かであるが、復元年代全体が完璧であるというつもりではない。
神武の復元年代が食い違うのは、他の方々の復元年代が間違っているためにすぎない。筆者の復元年代は日本書記においても、古事記においても、暗号の解読結果に基づくものである。その点から特異なものと見做される恐れがあるが、特異とされること自体が、記紀の年代解読の進め方を間違えた結果生まれたものである。しかも、記紀の年代を復元するのに100年以上かかっても出来ないのはなぜなのかが分かっていないのだから、そこが治らない限りどうにもならない。
実際に復元年代を得るためには、年次表の解読やその他種々の方法を用いて行っている。
記事を読んでもらえば分かることである。

旧ブログの過去の記事をみると、「1年合わない」、「1年狂いがありそう」というような記事が多く載っている。過去の話ではなく、現在でも同じである。
例えば、懿徳の崩御後の1年の空位年であるが、復元年代として懿徳側にあるのか、孝昭側にあるのかわからない。たまたま、この場合は復元年代に関係しないが、記載上のシンメトリックでは懿徳側にあるが、解読では孝昭側にきている。多分どこかに間違いがあると思っているが、解決できないでいる。
記載上の1年は、4倍暦なら実0.25年であるから気にしなくてよいが、復元年代に変換するときに、小数点以下の数字は厄介である。切り下げか、切り上げか、本当のところが分らないからである。「1年」に、いつも悩まされ続けている。
上記に述べた、他の方々とは復元年代が10年以上離れていて、気分的に楽だが、もし1年違いであったなら気が滅入るであろう。161年を神武即位年と仮定した場合、辛酉の年でなかったのは幸いである。

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