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2009年6 月21日 (日)

推古天皇の年代解読・・・「月日の読み方は笑える」

記紀の年代解読を振り返ってみて、気付くことがいろいろとある。
先ず、「表93  記紀による崇神以降の暗号解読結果(新説古事記復元モデル)」を見ていただきたい。

表93 記紀による崇神以降の暗号解読結果

古事記の編者は、結構面白い性格の持ち主である。古事記の最後の方の4人の天皇、敏達、用明、崇峻、推古の年代を「治天下年数」と「月日」から解読して見た。と言っても、在位と正しい年代は干支から分かっているのだから、逆算すれば、月日がどのような根拠から作られたかが分かるのである。
解読の結果は、治天下年数と月日の数字がニニギ暦(西暦)の年代を示すために用意されたものであった。誰か一人の天皇の解読であれば、解読方法が疑われるが、連続した4人の解読結果が、解読の正しさを示している。
結論をいえば、「月日」は創作なのである。「これを見てくれ」とばかりに、「掛け算」を使ったりして、自慢している。編者らは古事記の編纂を楽しみながらやっていたのであろう。
では、日本書記の崩御の月日が正しいかといえば、古事記と同じである。推古の3月7日は、「37」が大好きな編者が、推古に捧げた数字である。
それなのに、上記の年月日が陰暦だから、太陽暦に直すと○月△日であるなどと百科事典にまで載ってしまうと、編者らも笑いが止まらないだろう。

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