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2009年6 月21日 (日)

孝安天皇崩御248年(卑弥呼没年)の年次表解読結果

卑弥呼没年に関して、古事記の解読から始まり、日本書紀のいくつかの解読において、孝安天皇崩御248年を確認することができた。
年代復元は、いろいろな角度から行っているから、少なくとも主要なものについては、248年の答えが得られなければいけないと思っている。
最後に残ったのは、「合成年次表」である。
合成年次表は、年代と各天皇の年令を一表にしたものである。日本書紀に記載された各天皇の結びつきをチェックしているもので、正しい解読を目指してきた。

自信作と思っていただけに、孝安崩御248年を新たに読みとることは難しい。
ここ一週間ほど、必死で見直しを行った結果、どうやら答えが見えてきた。

『 』内は、チェック内容である
296年、孝昭即位40歳(実20歳)
214年、『孝昭68歳(実34歳)-孝安立太子20歳』は、孝安立太子ではなく誕生1歳である。
222年、『孝昭崩御83歳(実42歳)-孝安立太子35歳』は、孝安9歳である。(9歳の4倍暦は、33~36歳で35歳はその中に入る)
223年、『孝昭即位の翌年、孝安36歳』は、孝安9歳の翌年で10歳(4倍暦は37~40歳)である。
248年、『孝安崩御102歳』は、記載された崩年137歳である。孝安の崩年は35歳(4倍暦は137~140歳)である。
248年、『孝安崩御102歳→137歳-孝霊52歳』は一致する。
孝霊立太子年は、『孝安76歳→111歳-孝霊26歳』であるが、孝安をみると241年であるが、孝霊では242年が該当する。1年のずれがある。
249年、『孝霊即位53歳』は、孝霊53歳(実年14歳で、4倍暦は53~56歳)で一致する。
ちなみに、孝霊の誕生年は236年である。
267年、『孝霊崩御76歳』は、孝霊128歳(実年32歳で、4倍暦は128歳)で一致する。
記載された崩年128歳である。
記載在位76年は、実在位19年の4倍暦である。
ポイントは、孝安と孝霊の関係では、孝安が137年、孝霊が128年の年令系列の数字が、4倍暦で使われている。
また、孝霊と孝元の関係では、孝霊が76年の年令系列が用いられている。孝霊は、二系列を使い分けしていることになる。

これで、孝安崩御248年に関する主要な問題点がなくなったと考える。

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