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2009年6 月26日 (金)

古事記の崇神天皇に記載の「十二月」の意味(Ⅱ)

投稿済みの同名記事(Ⅰ)において「十二月」は「+2年(2年を加えなさい)」の意味であると述べた。「十二月」の意味はそれだけではない。さらに重要なことが「十二月」に秘められているので、引き続き述べる。

古事記では崇神崩御年が干支で示された最初の天皇であり、その干支によって西暦318年を知ることになる。では古事記の編者は、何を根拠にその年代を特定したのであろうか。古事記の編者にしても何も根拠のない年代を適当に決めたわけではないだろう。多分このあたりの年代だろうと推定して年代を決めようとしたのは当然である。実際に、編者が年代を決めるために行った方法について述べる。

崇神は、神武から逃れられない
日本書紀は、神武から始まる年代は四倍暦(厳密には、2×二倍暦)で書かれている。そして始馭天下之天皇である神武の特性が神武~開化の年代の選定に反映されている。二人目の御肇國天皇である崇神天皇において初めて神武とは関わりのない記述になるはずと思われる。しかしそのようには成り切れず、崇神においても神武から逃れられないことがあった。それが崇神の年代である。

崇神崩御318年の根拠

神武は39歳で崩御した。編者にとって、「39年」は重要な数字であった。39年を四倍(暦)にした156年を崇神の年代にしたのである。実際には神武即位162年に156年を加えた318年を崇神の崩御年に選定したのである。言い換えれば、神武即位162年を基準として、崇神崩御を156年(「39の4倍」)後の318年とした。。[162+39×4=318

では、古事記の「十二月」はどのような関係にあるかであるが、古事記の崇神の御年は168歳であり、その数字の後に12月が記載されている。168と12は本来一つの数字であり、168から12を引かなければならない。答は156[168-12=156]となり、上記に説明した156年である。即ち、「十二月」は「-12年(12年を引きなさい)」の意味である。
繰り返しになるが、崇神の崩御の年代は、[神武即位年162+崇神御年168-「月日」12=318年]で示される。

学者の中に、崇神崩御の年代に干支258年や318年以外とする見解が見られるが、編者がなぜその年代を選定したか、説明が全くない。編者は、318年以外の年代は想定していないのであるから、説明できるはずがない。
勘ぐれば、倭迹迹日百襲姫命を卑弥呼か壹与にしたいためである。倭迹迹日百襲姫命は卑弥呼が仮託されているのが分らないのだ。卑弥呼と壹与は別にいる。
筆者の「卑弥呼と壹与」に関する記事を読んでいただきたい。

崩年干支が記載されない垂仁と景行の復元年代
次に、三つ目の「十二月」の意味を述べる。
古事記の崇神の御年は168歳であり、その数字の後に12月が記載されている。
「十二月」とは、「+12(12を加えなさい)」の意味である。何に12を加えるのかというと、御年の168である。そうすると180が得られる。
180という数字も重要な数字である。元々180という数字は日本書紀のニニギ降臨の暗号「179万2470余年」を解読すると得られる840に由来する。神武暦紀元前840年はニニギ暦(西暦)180年であり、この180年と共通の180年である。開化までの年代の復元において、基準年として137年が用いられたが、同様に基準年として180年が用いられたとしても不思議ではないのである。
古事記においては、崇神には崩年干支があり、年代が読める。しかし、垂仁と景行には崩年干支が記載されていないため年代が不明である。これらの年代は、崇神の崩年318年と成務の崩年355年の間にあることが分かるだけである。
解読は次のようにすればよい。
①崇神の御年は168歳(年)であり、180年(168+12=180)を加えると348年となる。348年が景行の崩御年である。
②垂仁の御年は153年であり、180年を加えると333年となる。333年が垂仁の崩御年である。
①②の年代を古事記の崩年干支の読み取り年代の空白に加えると、垂仁在位は15年、景行在位15年が得られる。

上記の復元年代は、崩年干支が空白の垂仁と景行の復元年代である。編者は用意周到である。そのような要求に応えるために、編者は、「遊び心」を持って、予め用意した。
しかし、崩年干支から読み取った年代は破綻を来している。上記の結果も同様の運命にある。
古事記の正しい復元年代は、「表93  記紀による崇神以降の暗号解読結果(新説古事記復元モデル)」を参照いただきたい。

表93 記紀による崇神以降の暗号解読結果

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