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2009年6 月 8日 (月)

「倭姫命世記」が伝える神武天皇以前の歴史

筆者は、日本書紀の神武天皇の冒頭に記載された「179万2470余年」をニニギ降臨の暗号と呼ぶ。この暗号は、記紀の年代の紀元を示していて、年代解読において最も重要なキーとなっている。また、この暗号が示す紀元を、ニニギ降臨に由来しているところからニニギ暦と呼ぶ。

神武東征はニニギ降臨から150余年(または300余年)後に行われた。日本書紀によれば、神武東征は神武紀元前7年であるから、西暦に直せばBC667年に行われた。従って、ニニギ降臨は、東征の150余年前になるから西暦BC817年となる。現在から見れば、約2800年前のことになる。この延長線で話を進めれば、「超古代史」ということになる。

他方、ニニギ暦は神武暦の661年目を紀元元年としている。そして、150余年とは神武東征のニニギ暦(西暦)155年を指しているのである。神武は、ニニギ暦(西暦)137年に誕生し、155年に東征に出発、7年後の162年に即位する。

倭姫命世記」という古書は、鎌倉時代に作られたようである。作者は、内容から伊勢神宮の関係者と思われる。学者は、当然のように偽書というが、その偽書の作者が何を伝えようとしたかを見ることにしよう。
倭姫命は第11代垂仁天皇の皇女である。
「倭姫命世記」は、書の題名のとおり、倭姫命の斎宮としての生涯を書いているが、それは初代斎宮である豊鋤入姫命の後を託され、天照大神を伊勢に祀るまでの物語でもある。
ここで述べるのは、この書物の冒頭に記載されている「天孫降臨」と「神武天皇」についてである。
神武(神日本磐余彦)は、東征出発に当たり、天祖ニニギの降臨は「179万2470余年」の遠い昔のことだったという。
ニニギ(彦火瓊瓊杵尊)は、高千穂の串触の峰に降臨し、「21万8543年」天下を治らした。
ニニギの子のホホデミ(彦穂穂出見尊)は、「63万7892年」天下を治らした。
ホホデミの子のウガヤ(彦波激武鵜草茸不合尊)は、「83万6032年」天下を治らした。

『解読1』(6桁の数字を加算)上記の数字を暗号とみて解読すると、次のようになる。
降臨には30年を要した。天下を治らした年数は、ニニギ32年、ホホデミ53年、ウガヤ22年である。合計すると、137年となる。このとき、ニニギ暦(西暦)137年に神武が誕生したということになる。
古事記の神武の御年137歳は、神武がニニギ暦(西暦)137年に誕生したことを意味すると述べてきたが、「倭姫命世記」の作者もそのように考えていたのである。
なお、古事記の編者はホホデミの御年を580歳とするが、10倍暦で58歳であろう。上記とは5歳異なるが、次に述べるので、ここは我慢していただく。

『解読2』(頭二桁が年数)によれば、天下を治らした年数は、ニニギ21年、ホホデミ63年、ウガヤ83年である。合計すると、167年になる。神武の即位年162年と5年食い違う。それではということで、ホホデミの年数63年を古事記の58歳(年)に置き換えてみると、見事に、162年になる。
それにしても、ホホデミ58年、ウガヤ83年は大きな数字である。ニニギ朝、ホホデミ朝、ウガヤ朝という見方が生まれ、ウガヤ朝は複数の王が存在した、といわれるのはこのことかも。

また、3人で162年の在位は、1人平均54年の在位であり、少し長すぎる。日本書紀が在位として記載した年数は、在位ではなく崩年までの年令であることを思い起こせば、上記の数字も同様と考えてよい。仮に162年が2倍暦とすると、実年は81年になり、4倍暦なら41年になる。
4倍暦の場合の数字を年代にはめてみると、ニニギ降臨は121年辛酉の年に当たる。
ニギハヤヒ(饒速日命)の「虚空見つやまと建国」の年代を示唆する。
ウガヤの即位は141年となり、神武誕生年137年に近い年代である。

さて、『解読1』から得られた137年は重要な数字である。筆者にとって、大きな収穫である。
しかし、ニニギ朝、ホホデミ朝、ウガヤ朝に関する数字は、現在のところ、何の根拠も持たない。ここから始まるのである。

倭姫命世記」の暗号解読から得られたもう一つは、ニニギ、ホホデミ、ウガヤの数字には神武以降の年代が隠されていることである。
『解読3』(6桁を、ニニギ降臨の暗号と同じ手法で解読)では、175年、179年、221年が読み取れる。既に筆者が復元モデルとしている年代とは1年違いの、極めて近い数字である。
『解読4』(下4桁の解読)では、137年、(1)62年あるいは26歳が読める。
特に重要視しているのは、221年という数字である。孝昭崩御年に相当するが、筆者は222年を採用している。
もしかすると、221の逆数122の読み取りが正しく、「虚空見つやまと建国」は122年壬戌なのかもしれない。神武と崇神の即位は、いずれも壬戌の年なのである。
現代の学者の示す年代よりは、今から800年も前の偽書の作者の方が一層正しい年代を教えてくれる。

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