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2009年6 月13日 (土)

応神天皇は、いつ生まれ、いつ崩御されたか?

日本書紀には、応神天皇の誕生から記載されているので、年齢も分かりやすいはずなのであるが、疑問が一つある。

応神天皇はいつ誕生されたか

日本書紀の記載において、神功は仲哀9年(362年)に応神を出産するのであるから、この年、応神1歳である。数え年の場合、例え年末に生まれたとしてもそのとき1歳であり、次の年の正月になれば2歳である。神功摂政3年(365年)には4歳になっている。ところが、応神紀においては、神功摂政3年(365年)に応神立太子3歳と記載する。応神の年令に1歳食い違いがある。
神功の相手、応神の父親が仲哀でないことは間違いがないことであるが、新羅征伐が362年ではなく363年春であるという説もあり、新羅から帰ってきて応神を生んだとすると、363年になる。
また、4歳で立太子はありえない。4歳という凶の年に立太子を行うはずがない。
仮に、応神の立太子年における年令が3歳で正しいとすると、応神は神功元年(363年)に生まれたことになる。仲哀の崩御の1年以上後のことである。

注1)応神天皇即位前紀に、「天皇、(神功)皇后の新羅を討ちたまひし年、歳次庚辰(仲哀9年)の冬十二月を以て、筑紫の蚊田に生まれませり。・・・・・・。皇太后の摂政三年に、立ちて皇太子と為りたまふ。時に年三。」とある。前の文では仲哀九年(362年)に生まれたとするが、後の文では、神功摂政三年(365年)に三歳としている。
同様に、新羅征伐も、あったとすると、1年ずれた363年になる。(それも疑問であるが)

応神天皇はいつ崩御されたか
日本書紀の編者は、神功において嘘を書きすぎた。「罪滅びし」のためか、つい応神の記述に本音が出てしまい、崩御の年齢を記載した。
応神在位41年であり、41歳で崩御された。
尤も、これくらいの情報を残してくれないと、いくら解読しろと言われても、解読できない。と、思って、再度日本書記に目を通すと、「宝算一百一十歳(110歳)」と書いてあるではないか。
201年(復元363年)に誕生し、110歳(復元41歳)となった310年(復元403年)に崩御されたのである。

応神の在位については、381年即位、403年崩御となり、在位23年となる。古事記においても同じである。

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