『神武即位822年説』(『神武即位西暦162年説』)に関して
記紀の年代解読は、神武天皇から雄略天皇まで進み、基本的な誤りがないことを確信した。
この説を命名するとすれば、『神武即位822年説』が妥当と思われる。
日本書記の「ニニギ降臨の暗号179万2470余歳」の解読から、「神武即位:神武暦822年」が読み取れたことによる。
注1) 投稿済みの「ニニギ降臨の暗号『179万2470余歳』の解読」を参照。
また、日本書記の年代の始まりである神武立太子年(前697年)と終わりの文武立太子年(697年)がシンメトリックを形成していることから、その中央年をニニギ元年と設定すると、上記立太子年はそれぞれニニギ元年から干支一回り60年の11回りに加算する37年(697年)離れた位置にある。即ち、中央年であるニニギ元年は辛酉の年である。分り易く西暦で示せば、シンメトリックの中央年であるニニギ元年は西暦元年(1)年(辛酉)となる。
厳密には、シンメトリックの中央年は、西暦1年(辛酉)と西暦前1年(庚申)の間にある。記載上の神武即位年が辛酉の年を選択しているため、ニニギ元年は西暦元年(1)年(辛酉)と見做す。
従って、ニニギ元年=西暦1年を基準年としてみると、神武暦822年はニニギ暦(西暦)162年=西暦162年である。
『神武即位822年説(神武暦)』は、西暦に直せば『神武即位西暦162年説』となる。
古事記は、上記の正しさを示している。
古事記は、神武天皇の御年は137歳であったと記載する。137歳は暗号であり、解読によってニニギ暦(西暦)137年と読む。
ニニギ暦(西暦)137年は、神武天皇の誕生年である。そして、日本書記に記載されているように、二倍暦で52歳、実年で26歳になったニニギ暦(西暦)162年に即位する。
日本書記における神武天皇の誕生年も、当然、ニニギ暦(西暦)137年である。
日本書記と古事記は、神武誕生ニニギ暦(西暦)137年、神武即位ニニギ暦(西暦)162年で一致する。
記紀の復元年代に関し気付いたこと
日本書記は、表面的には(記載上では)神武暦の年代(数字)を用いたが、ニニギ暦を暗号として取り込んだ。古事記はすべてニニギ暦の年代(数字)を用いた。
年代の表現方法は、日本書紀と古事記とでは基本的に異なるが、解読で得られる年代は共通のニニギ暦である。しかも、各天皇に関する復元年代は、一部の天皇において2年差を有することがあるが、基本的に同一の復元年代が得られた。
古事記を、日本書記に記載された神武即位年西暦前660年に合わせて読むことはナンセンスである。古事記の年代は、基準年(例えば137年)に御年の数字を加算した数字が復元年代であり、日本書紀の復元年代なのである。
注2) 古事記の復元年代の計算や結果は、カテゴリ「古事記の復元年代」に投稿済みである。
「ニニギ降臨の暗号179万2470余歳」の解との整合性
『神武即位822年説』の主要な根拠である「ニニギ降臨の暗号179万2470余歳」は、日本書記以外では「先代旧事本紀」、「倭姫世紀」、「ほつまつたゑ」などに記載されていることがその重要性を示す。また、古事記の「神武天皇の御年137歳」は「ニニギ降臨の暗号179万2470余歳」を即位年から誕生年に変化させたもので同等の重要な暗号である。
多くの方々が、記紀の復元年代を示されているが、上記の暗号の解との整合性を説明していない。暗号を解読していないこと(暗号を無視していること)、復元年代が誤っていることなどが原因である。