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2009年9 月27日 (日)

『神武即位822年説』(『神武即位西暦162年説』)に関して

記紀の年代解読は、神武天皇から雄略天皇まで進み、基本的な誤りがないことを確信した。
この説を命名するとすれば、『神武即位822年説』が妥当と思われる。
日本書記の「ニニギ降臨の暗号179万2470余歳」の解読から、「神武即位:神武暦822年」が読み取れたことによる。
注1) 投稿済みの「ニニギ降臨の暗号『179万2470余歳』の解読」を参照。
  
また、日本書記の年代の始まりである神武立太子年(前697年)と終わりの文武立太子年(697年)がシンメトリックを形成していることから、その中央年をニニギ元年と設定すると、上記立太子年はそれぞれニニギ元年から干支一回り60年の11回りに加算する37年(697年)離れた位置にある。即ち、中央年であるニニギ元年は辛酉の年である。分り易く西暦で示せば、シンメトリックの中央年であるニニギ元年は西暦元年(1)年(辛酉)となる。
厳密には、シンメトリックの中央年は、西暦1年(辛酉)と西暦前1年(庚申)の間にある。記載上の神武即位年が辛酉の年を選択しているため、ニニギ元年は西暦元年(1)年(辛酉)と見做す。
従って、ニニギ元年=西暦1年を基準年としてみると、神武暦822年はニニギ暦(西暦)162年=西暦162年である。
『神武即位822年説(神武暦)』は、西暦に直せば『神武即位西暦162年説』となる

古事記は、上記の正しさを示している
古事記は、神武天皇の御年は137歳であったと記載する。137歳は暗号であり、解読によってニニギ暦(西暦)137年と読む。
ニニギ暦(西暦)137年は、神武天皇の誕生年である。そして、日本書記に記載されているように、二倍暦で52歳、実年で26歳になったニニギ暦(西暦)162年に即位する。
日本書記における神武天皇の誕生年も、当然、ニニギ暦(西暦)137年である。
日本書記と古事記は、神武誕生ニニギ暦(西暦)137年、神武即位ニニギ暦(西暦)162年で一致する。

記紀の復元年代に関し気付いたこと
日本書記は、表面的には(記載上では)神武暦の年代(数字)を用いたが、ニニギ暦を暗号として取り込んだ。古事記はすべてニニギ暦の年代(数字)を用いた。
年代の表現方法は、日本書紀と古事記とでは基本的に異なるが、解読で得られる年代は共通のニニギ暦である。しかも、各天皇に関する復元年代は、一部の天皇において2年差を有することがあるが、基本的に同一の復元年代が得られた。
古事記を、日本書記に記載された神武即位年西暦前660年に合わせて読むことはナンセンスである。古事記の年代は、基準年(例えば137年)に御年の数字を加算した数字が復元年代であり、日本書紀の復元年代なのである。
注2) 古事記の復元年代の計算や結果は、カテゴリ「古事記の復元年代」に投稿済みである。

「ニニギ降臨の暗号179万2470余歳」の解との整合性
『神武即位822年説』の主要な根拠である「ニニギ降臨の暗号179万2470余歳」は、日本書記以外では「先代旧事本紀」、「倭姫世紀」、「ほつまつたゑ」などに記載されていることがその重要性を示す。また、古事記の「神武天皇の御年137歳」は「ニニギ降臨の暗号179万2470余歳」を即位年から誕生年に変化させたもので同等の重要な暗号である。
多くの方々が、記紀の復元年代を示されているが、上記の暗号の解との整合性を説明していない。暗号を解読していないこと(暗号を無視していること)、復元年代が誤っていることなどが原因である。

2009年9 月16日 (水)

記紀(日本書紀と古事記)の復元年代に関する裏付けデータ

記紀の年代、在位などの復元の結果は、カテゴリ「最新の復元年代と裏付け」に収めた「記紀(日本書紀と古事記)の最新の復元年代」に記載した。最新の復元年代は、次の「表3 記紀の復元年代の比較」を見ていただきたい。
追記(2009/11/11)
新たに、先代旧事本紀の復元年代の解明ができたので、「表3・・・」に加えた。

表3 記紀の復元年代の比較

復元年代に関する裏付けは多岐にわたる。大半の記事が復元の根拠に関する関係記事であるが、分りにくいと思われる。裏付けとなる主要な資料・データを纏めたものを下記に示した。

日本書記の復元年代の解読結果とその裏付け

日本書記の年代などの復元に関する主要な裏付け資料としては、各天皇の情報を合わせた「合成年次表」がある。「合成年次表」は、日本書記に記載された各天皇の年代、在位、年齢に関する情報を、総合的な年次表としてまとめ、それらのデータ間の整合性を図り、年代、在位、年齢を復元したものである。
以下の解読資料(合成年次表)で、復元年代などが確認できるはずである。
「表12-1 神武~崇神の復元年代の詳細」
「表12-2 崇神~仁徳の復元年代の詳細」

表12-1 神武~崇神の復元年代の詳細

表12-2 崇神~仁徳の復元年代の詳細

次の解読資料は、各天皇の復元年代の正しさを側面的に証明するものである。
神功皇后に関する年代解読:「表25 神功の年次表の解読(外交史を含む)」および「表109 神功皇后の年次表の詳細」

表25 神功の年次表の解読(外交史を含む)

表109 神功皇后の年次表の詳細

日本武尊(古事記:倭建命)と仲哀天皇に関する年代解読:「表107 日本武尊と仲哀天皇の年次表」

表107 日本武尊と仲哀天皇の年次表

さらに各天皇の詳細を見る場合は、「○○天皇の年次表を解読する」の記事(個別年次表)を見ていただきたい。「個別年次表」から、記載された個々の記事の復元年代が、ある程度の精度(±1年程度)で得られる。

古事記の復元年代の解読結果とその裏付け

古事記に記載された御年などの数字はすべて暗号であり、復元年代を示している。古事記の数字の数は少なく、単独では解読できないが、日本書紀に照らすと復元年代が容易に得られる。同時に、そこで得られた年代は日本書記の解読を助け、解読の正しさを明らかにする。古事記の年代などの復元に関する主要な裏付け資料は、次のとおりである。
表91-2 古事記の137年(162年)を基準とした年代解読(神武~崇神)
表93  記紀による崇神以降の暗号解読結果(新説古事記復元モデル)

表91-2 古事記の137年(162年)を基準とした年代解読(神武~崇神)

表93 記紀による崇神以降の暗号解読結果(新説古事記復元モデル)

2009年6 月 7日 (日)

記紀(日本書紀と古事記)の最新の復元年代

記紀の復元年代は、新しい解読結果を順次積み上げてきた。
このブログにおいても、当初の復元年代に比べれば随分変わってきている。
ブログを読まれる方のために、最新の復元年代を知ってもらいたく、纏めてみた。
添付する「表3 記紀の復元モデルの比較」を見ていただきたい。変更があれば修正を加え、最新の情報としていく。

表3 記紀の復元モデルの比較

記紀の復元年代は基本的に一致している
日本書記の最新の復元は「修正日本書紀モデル」となっている。また、古事記モデルは「新説古事記復元モデル」に発展している。
修正日本書紀モデル」と「新説古事記復元モデル」とは、ほぼ同じ復元年代が得られている。
現在、古事記の復元年代「新説古事記復元モデル」が得られたことと、古事記の復元年代と日本書記の復元年代が基本的に一致したことにより、復元年代が正しいと自信を持つに至った。

崇神、仁徳、履中の3天皇の復元年代は、分注崩年干支の年代と一致
筆者が敢えては古事記の復元年代を「新説古事記復元モデル」と呼んでいるのは、日本書紀の復元年代と古事記の復元年代の間でほんの一部であるが(神武~雄略間で孝元崩御年と成務崩御年の2ヶ所)、年代が異なっているためである。
古事記には分注崩年干支の読み取り年代(通説)が存在するが、中国へ朝貢した年代と食い違いがあるため、疑問視されていた。しかし、それに替わる復元年代が明らかにされていない。筆者の記紀の復元年代はそれに代わるものである。なお、崇神、仁徳、履中の3天皇の復元年代は、分注崩年干支の年代と一致している。

古事記は、日本書紀の解読書(あるいは参考書)である

古事記が100年後にできたとすると、記紀の間に極めて類似した復元年代が得られていることを説明できない。古事記と日本書紀の復元年代の類似した関係を無視して、古事記の編纂過程を議論することには賛成できない。
また、筆者は「古事記は、日本書紀の解読書あるいは日本書記の講義に用いられた参考書である」との見解を持っている。実際に、古事記で得られた情報から日本書紀の復元年代が得られたことは事実であり、実感である。

特に、孝安崩御248年、孝霊即位249年は古事記による解読がなければ、女王卑弥呼・壹与にたどり着くことはなかった。同様に、応神即位381年、反正崩御439年も古事記から得られた情報に基づく成果である。

以下に最新の復元年代(2009/10/03現在)を示す。「表3 記紀の復元モデルの比較」と基本的に同じ内容である。修正が遅れた場合はご容赦を!

ニニギ降臨:ニニギ暦1年(西暦1年)(神武暦661年)
神武誕生:137年、1歳(古事記神武御年137歳より137年
神武立太子:151年、15歳
神武東征 : 155年、19歳
神武即位年:162年、26歳(ニニギ降臨の暗号「179万2470余歳」より、神武暦822年
神武崩御年:175年、在位14年
綏靖崩御年:181年、空位1年+在位5年
安寧崩御年:185年、在位4年
懿徳崩御年:195年、在位10年
孝昭即位年:196年、(女王卑弥呼擁立
孝昭崩御年:222年、在位27年
孝安崩御年:248年、在位26年(卑弥呼崩御)(古事記孝安御年123歳より)
孝霊即位年:249年、(女王台与擁立
孝霊崩御年:267年、在位19年
孝元崩御年:293年、在位26年
開化崩御年:301年、在位8年
崇神即位年:302年
崇神崩御年:318年、在位17年(崩御年は古事記の分注崩年干支に一致)
垂仁崩御年:337年、在位19年
景行崩御年:358年、在位21年
成務崩御年:371年、在位12+1年(古事記373年、在位15年
仲哀崩御年:380年、在位9年(古事記380年、在位7年
神功皇后:在位なし
応神即位年:381年
応神崩御年:403年、在位23年
応神崩御の空位年:404年
仁徳崩御年:427年、在位23年(崩御年は古事記の分注崩年干支に一致)
履中崩御年:432年、在位5年(崩御年は古事記の分注崩年干支に一致)
反正崩御年:439年、在位7年
允恭崩御年:459年、在位20年
安康崩御年:462年、在位3年
雄略崩御年:479年、在位17年
以下略

在位合計(空位を含む)
神武即位から開化崩御までの在位合計:140年
神武即位から崇神崩御までの在位合計:157年
神武即位から仲哀崩御までの在位合計:219年
神武即位から仁徳崩御までの在位合計:266年

注1)年代は、ニニギ暦(西暦)
注2)記紀の神武~雄略間で復元年代が一致しないのは、成務崩御年(仲哀の在位が関係)のみである。