記紀の編者にとって、「九九」は神聖な数字
記紀の編者が重視した数字に、「九九」がある。
まず、「九九」の意味について述べておく。
「九九」の一つ目の意味は、陰陽道に基づくもので、九が陽の数字の中の最も大きな数字であり、九九と二つ重なることから「重陽」あるいは「重九」と呼ばれ、長寿や繁栄を願いあるいは祝う数字である。
「九九」の二つ目の意味は、掛け算の「九九(くく)」であり、その答の「八十一」が、編者が示したかった狙いの数字(隠された数字)なのである。
注1)「九九」と書いて「八十一」と読ませる、あるいはその逆に、「八十一」を「九九」と読ませるような数字の使い方は、万葉集にもあるようで、当時の知識階級なら理解できたようだ。
「若草乃 新手枕乎 巻始而 夜哉将間 二八十一不在国(わかくさの にひたまくらを まきそめて よをやへだてる にくくあらなくに)巻十一 2542番」
注2)「九九」と書いて「八十一」と読むが「九十九」とは読まない。占いでは、「八十一」以上の数字は「一」と看做すそうであるから、「九十九」という数字は意味を持たない。記紀に記載された場合、単に「99」を示すのか、「九九」なのかを見極める必要がある。
編者が信じた数霊(かずたま)
「日本神話から生まれた話」(平成生き活き教育研究会)の記事に、「九九」について述べられているので紹介する。
「いざなぎといざなみが産んだ神々の合計は、八十一柱となり国造りが完成する。八十一 とは、[九九=八十一]と結びついている。
掛け算も、[九九=八十一]で完成する。この神様と数の不思議な関係は数霊(かずたま)という学問にもなって日本に伝わっている。 」
「言霊(ことだま)」という言葉と同様に、「数霊(かずたま)」という表現もあるようだ。
また、「数霊占術」ともいわれる。これらが、数字の選択に影響を与えていたことは間違いなさそうである。
日本書記においては、次の記載があるが、「数霊(かずたま)」と見れば同じである。
「一書に曰く、大国主神、またの名は大物主神、または国作大己貴命(おおあなむちのみこと)と号す。・・・・・その子すべて一百八十一神有す。」
神のつく3天皇は、「九九(くく)」の神様か?
各天皇の年代解読だけをみると、「九九」による復元年代は奇妙に見えるかもしれない。しかし、神代の数字も「九九」と繋がっていたとすれば、「九九」用いた復元年代が正しいことを証明することになる。
「表108 天皇の即位年、崩御年等に用いられた「九九」の数字」を見ていただきたい。
記紀の編者は、主要天皇の年代に「九九」を、徹底的に活用したことが分る。筆者が考えるところはすべて上記表に示されている。
以下に、記紀を解読する中で出会った「九九」について述べてみる。
蛇足であるが、筆者にとっては重要な解読結果である。
先ず、神の付く3人の天皇について、「九九」の観点から見てみよう。説明を楽にさせてもらうため応神天皇から始める。
応神天皇に記載された「九月九日」の意味
①応神天皇は、西暦363年に誕生し、381年に19歳で天皇位に就き、403年41歳で崩御された。
古事記において、応神天皇に記載された「九月九日」の意味の一つ目は、前述の陰陽道に基づくもので、九九は「重陽」あるいは「重九」と呼ばれ、長寿や繁栄を願いあるいは祝う数字である。「重九」が「十九」歳で即位したことを示唆しているとすれば、応神の在位は23年になる。「九月九日」は、即位の年齢を示していたことになる。
また、二つ目の意味は、「九九」は81を示唆する。応神の即位年の下二桁を81とすれば、(3)81年となる。(3)は、300年代のことで、間違えるはずがなく、示す必要がない。
三つ目は、日本書紀と古事記の編者の対応である。両者は同じことを異なる表現で示す。
②に垂仁天皇(実質は崇神天皇)に関して述べるが、「九十九年」とした表現で、「九九」が存在する。古事記では、卯神天皇において「九月九日」と記載して「九九」を示す。
垂仁天皇の在位(年次)「九十九年」の意味
②日本書紀においては垂仁天皇の在位(年次)が「九十九年」である。しかし、この数字は垂仁天皇の数字ではない。日本書紀では垂仁の崩御の年齢を140歳としているが、実際に年次表を追うと、139年にしかならない。1年減じたからである。
垂仁天皇の本来の数字は100年次、140歳であり、九十九年は崇神天皇の数字であって、編者は間違えた振りをしているだけである。
別の見方もできる。「百減・百増」の手法である。神功は[百歳]で崩御したが、「百減」により、残りは零または空となる。神功は年表上では存在しない。垂仁の年次を「百年」とすると、神功の「百減」のこと(垂仁の存在に傷が付くこと)が気になり、これを避ける意味もあった。それで「九十九年」にした、と考えられる。この場合の「九九」は、垂仁自体から生じた副産物のようなものだが、暗号の世界においては目的の「九九」が得られればよかったのである。
従って、垂仁の在位99年は「九九」であって、上記①の「九九」と同じで、81を示唆する。そして81を頭に持ってくれば、81(3)年であり、その逆数の318年が崇神の崩御の年となる。
もしかすると、「九九」は「九が2個」で、「二×九=18」なのであろうか。とすれば、順読みで(3)18年となる。しかし、この解釈は、神の付く天皇であるから、不似合いである。
神武天皇の誕生137年と即位162年に隠された「九九」
③神武天皇即位の復元年代は、162年であり、81の二倍である。ここに表れた81とは「九九」である。展開すると次のようになる。
162=81×2=「九九」×2
このことについては、「記紀編者と陰陽道」に述べているので参照していただきたい。
また、神武天皇の誕生年は、137年である。
「九九」との関係は、次のようになる。
137=7×8+9×9=56+81=「七八」+「九九」
神武においては、表面的には「九九」は現れない。上記の例のように、「九九」の部分は、記載された数字に包含されていると考えればよいのだろう。
「九九」と「九九(くく)の九の段」は格付けか?
④上記の3人の天皇以外にも「九九(くく)」が見られる。神をつけたのが、格付けであるとすると、3人の天皇には「九九=81」を用いたが、その他の天皇には「九九(くく)の九の段」を用いたことになる。②で崇神天皇に「二×九=18」は不似合いと述べた理由である。ただし、綏靖天皇の「九九」は説明がつかない。