編者の最高傑作は、神武の年代である
日本書紀を読んでよかったことは何かと聞かれても、まともに読んでいないので答えられない。ところが、年代を復元するため、数字のみを追いかけてきたお陰で、日本書紀の最高傑作にめぐり合えた。次の「表12 神武の復元年代」がそれである。
編者らは陰陽道を学び、天文や暦に精通した、数学者であり、当時の最優秀の人たちである。書記の記載年代は神武歴により作られたが、他方、復元年代はニニギ暦による。記載年代と復元年代との関係は、ニニギ降臨から神武誕生、立太子、即位、崩御が、倍歴を介して、巧みに結ばれている。
以前、日本書紀の年代構成を見て、建築物に例えて、編者には優れた美意識があると述べたが、編者は自らが持っていた正しい歴史(復元年代)を記載年代に変換するに当たっても同様にセンスのある変換を行った。
数字の意味を理解しない者には、単に数字が並んでいるとしか思えないであろうが、一つ一つの数字が重要な意味を持っていることを考えると、この記載年代と復元年代の関係は豊かな想像性や独創性がなければ生まれなかったであろう。そして、芸術でもある。(ちょっと大げさかも!)
表を良く見て欲しいのである。
なお、表に直接書かれていないことのみを挙げてみる。それ以外は関係する投稿記事を読んで欲しい。
①神武暦元年(西暦前660年)とニニギ暦元年(西暦元年)とは660年のズレを有する。
②神武に関する記載年代と実年代とは倍暦が関係し、年代間の差は一定ではない。
最も重要な神武即位年については、記載年代では神武元年(西暦前660年)であり、実際の復元ではニニギ暦(西暦)162年で、その年代間の差は822年である。
③復元された神武即位年はニニギ暦(西暦)162年であるが、162年には特別の意味がある。
「記紀編者と陰陽道」を見てください。
多くの学者の方々が、神武即位年の復元年代を提案されているが、例えば西暦61年とするのは讖緯思想の基づく「辛酉の年」に引っ掛けた年代であろう。この例などは、まだ辛酉の年という説明がつくだけましである。何の意味も見いだせない年が神武即位年になるはずがない。記紀編者の爪の垢を煎じて飲ませたい。
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