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2009年6 月12日 (金)

記紀編者の美意識 

編者らが生まれた時期は、仏教が広まりつつあり、あちこちに荘厳な寺院が建立され、多くの仏像が作られた。都に暮らす編者らは既に建立されていた法隆寺や四天王寺に訪れ、できたばかりの五重塔を眺めながら暮らしていたのである。編者らが記紀の編纂に携わる頃は、天平文化の花が咲き始めた時である。都も藤原京への遷都、平城京への遷都と続き、そこに暮らす編者らは華やかな時代の幕開けを肌で感じたと思われる。
彼らが普段から見上げていた法隆寺や四天王寺あるいはその他の寺院は、左右対称(シンメトリック)の様式美と日本独特の白銀比という美意識をもって作られているのである。

編者は記紀の物語を五重塔の建設にだぶらせたかも知れない。年代の構造を高層建築とみなし、185年を1階分として組み立てたのである。神武から允恭までに四つある。非連続を入れれば五つである。シンメトリックを多用しているのも堅固なものにすると同時に安定感や美観を重視したと考える。さらに、白銀比を用いて装飾しているのである。
シンメトリックは別途説明するとして、白銀比とはどんなものか説明する。
多分、黄金比といえば知っている方が多いであろう。黄金比は1:1.618の比率からなり、この比率を用いたものには、ダビンチのモナリザやミロのビィーナスがあり、古代ギリシャのパルテノン神殿がある。
白銀比は1:1.414の比率からなり、黄金比と同様に均整の取れた比率である。日本ではこの白銀比が法隆寺や四天王寺に用いられていて、大和比と呼ばれることもある。時代が進むと建築だけでなく能面や生け花にも活用されるようになることから日本人の美意識の根底に白銀比(大和比)があるといえる。

シンメトリックの場合に孝霊の在位が重要な役割を持っていると述べたが、白銀比においても孝霊即位年あるいは崩御年が起点になる。

神武即位~孝霊崩御445年を1とすると、神武即位~崇神崩御630年は1.415である。

神武即位~懿徳崩御185年を1とすると、孝昭即位~孝霊崩御261年あるいは孝霊即位~崇神崩御261年は1.411である。(185年に孝霊在位76年を加えると、261年になる。)

追記(2009/07/01)
復元年代の美的センスの良さ
年代の復元作業が進み、復元年代と各天皇の年齢を一表にまとめた「合成年次表」が作成できてきた。基本的には数字の羅列のようなものである。筆者自身にとって分り易く、また、見ていただく方々にも分り易いように、色を着けたり、体裁を整えたりしている。
「合成年次表」は芸術作品ではなく、どちらかといえば、技術的なものである。また、「合成年次表」は、編者が考えた結果をまとめたものである。筆者が色を着けようと、体裁を整えようと、元のデータが良く出来ていないなら、素晴らしいといえるものにはならない。
合成年次表」は芸術作品ではなく、どちらかといえば、技術的なものである。数字の扱い方は抜群であり、「美的なセンスの良さ」や「美意識の高さ」を感じさせる。
これを読まれた方は、ご自分の目で確認してほしい。
参考として、「表12 神武時代の復元年代」、「表12-2 崇神~仁徳復元年代の詳細」を添付する。

表12 神武時代の復元年代

表12-2 崇神~仁徳復元年代の詳細

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