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2009年6 月14日 (日)

日本書紀の神武天皇在位14年のからくりの解明

一つのこと(A)が、素晴らしい発見であったとしよう。
(A)「1年が4倍の4年になっている」が正しいとした場合、(B)「ある期間が4倍になっている」が正しいかどうかである。次のように、条件によって異なる。
「すべての年が4倍になっている」なら正しいが、「ある期間には4倍でない年も含まれる」なら正しくない。
日本書紀の場合は、「ある期間(神武~仁徳)が4倍になっている」が、「個別の天皇でみると4倍とは限らない」ということになる。
簡単な例を示そう。筆者は「神功は、在位には関与しない」とみている。そうすると、神功に与えられた在位分の年数は、他の天皇がフォローし、結果として神武~仁徳の合計在位は4倍になる。神功の在位分をフォローした天皇は4倍にはならない。

神武天皇在位は、14年か、19年か

神武の年次表からは、14年と19年が読み取れ、どちらが正しいか判断が難しい。
神武の年次は76年であり、1/4は19年であるため、神武の在位を19年と解釈する方々が多くおられる。76年は、神武即位年から崩御年までの期間であり、上記(B)に基づくと19年は正しそうに見える。

「からくり」の存在

日本書記においては、多くの「トリック」(人を騙すはかりごと)が用いられている。騙すつもりはなく、年代延長のためであるとしたら、「テクニック」とか「からくり」という方が良いかもしれない。その「からくり」を考えると、神武在位を次のようにみることができる。

一般に太歳干支は、各天皇の即位年に付与されている。しかし神武の場合には、太歳干支は即位年には付与されていない。東征出発の年に付与されている。他に見られない特異な太歳干支の付与の仕方である。この東征出発の年から崩御年までの期間は83年(BC667年からBC585年)であり、83年の1/4は20.75年(21年)である。
くどいようだが、21年は神武の在位ではなく、神武が東征に出発した年から崩御の年までの期間である。
ところが、東征の期間7年間は実年(記載の1年は実際の1年)で書かれているから、神武即位後の在位は、21年から7年を引いた14年となる。
要するに、神武に関しては「1年が4倍の4年になっている」部分と「1年が1年のまま」の部分が合成されているのである。言い換えれば、神武即位後の76年間は4倍ではなく、約5.53倍になっている。[76÷13.75=5.53]

「からくり」に気付いたのは、貝田禎造氏の「古代天皇長寿の謎」(六興出版)を読んで、氏が神武に関して何も述べていないのを不思議に思い、検討の結果得られたものである。
上記の書物において、神武に関して86年という数字が記されていたが、この数字は太歳干支が付された神武前紀前7年(BC667年)から次の太歳干支が付される空位年(BC582年)までの期間であった。従って、神武崩御後の空位3年を引いた83年が神武の本来の数字であり、神武在位14年が得られたのである。
ついでに述べると、神武崩御後の空位3年は太歳干支を伴う空位であり、このように空位年に太歳干支が付く点も特異である。記事を読むと、綏靖と手研耳尊とが天皇位を奪いあった戦いの期間である。太歳干支の付与は、手研耳尊を完全には無視できない争いごとであったことを暗示している。空位3年の実の年数は、仮に1/4とすると0.75年となり、実1年と考える。
貝田氏は真面目な方で、日本書記にからくりが隠されているなど思いもしなかったであろう。しかし、多分、神武の月日を検討する中で「ある期間(神武の在位)が4倍になっている」とすることに躊躇するだけの何かを感じ取られて、神武の在位を書かなかったと思われる。賢明な判断であったのだ。

追記(2009/8/4)
最近は、復元年代の精度を高めると同時に理論を整備しておきたいと思っている。
上記の記事の中にも2ヶ所において誤りがあることに気付いた。次の点である。
「東征出発の年から崩御年までの期間は83年(BC667年からBC585年)であり、83年の1/4は20.75年(21年)である。」
20.75年は、21年とするには0.25年不足している。日本書記の編者が大雑把な計算をしていたのなら、21年としても構わないであろう。編者の数字の扱い方(計算も含む)は正確なのである。
記載上の神武崩御76年次と77年次は、2倍暦では同年なのである。従って、上記の文面は次のように書き改められる。
東征出発の年から崩御年までの期間は84年(BC667年からBC584年)であり、84年の1/4は21年である。」
同時に次のことが言える。
「空位3年の実の年数は、仮に1/4とすると0.75年となり、実1年と考える。」は、次のように書き改められる。
記載上の空位3年の実の空位年に関わる年数は2年分である。1年分は神武崩御の年と同年であり、実の空位年とは関係しない。記載上の空位2年は、2倍暦を解消すると実1年となり、空位年は実1年である。」

この追記の内容が正しいかどうかは、少なくとも神武天皇から開化天皇までが読み切れたときである。

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