古事記の「神武御年137歳」は、神武の誕生年を指す
ある学者の記事に、古事記には日本書紀に記載された「179万2470余歳」という文言がない、という。また、日本書紀の「179万2470余歳」については、天孫降臨から、はるかはるかに、後の時代になったという意味で、「白髪三千丈」と同じ世界だという。
そのような意味なら、古事記がわざわざ「179万2470余歳」を書かなかったとしても構わないと思うのだが。
さて、なぜ古事記に「179万2470余歳」という文言が記載されなかったのか考えてみる。
①古事記と日本書紀の編者は同じ文言で表現することを嫌った。人名を見ればわかることである。従って、日本書紀に記載された「179万2470余歳」という文言をそのまま用いることはしなかった。
②筆者は、「179万2470余歳」を「ニニギ降臨の暗号」と呼ぶ。正しい年代を知るための幾つかの重要なキーワードが隠されている。その一つが、神武即位年がニニギ暦(西暦と同じ、以下西暦で示す)162年であることを暗示するのである。
日本書紀の編者は暗号を通して正しい年代を示そうとしたが、古事記の編者も同じである。しかし、古事記の編者は「179万2470余歳」とは異なる表現で正しい年代を示した。それが、「御年137歳」である。
③神武の「御年137歳」は、普通に読めば、137歳で亡くなったと解釈する。しかし、暗号としてみると次のように読み取れる。
137歳は137年と同じ意味である。結論を言うなら、137年は神武が誕生した年である。シンメトリックを考えてみると、誕生年より前の時代が映し出せるが、誕生年より137年前には何があるのだろうか。
実は、137年先には、分り易く言えば西暦元年がある。(筆者はニニギ元年と呼ぶが、それは西暦元年である)
神武は西暦元年から137年目、即ち西暦137年に生まれた。151年には15歳になり太子となる。太子となった神武は、東征に出発する。そして、東征に成功し、162年に26歳で即位する。
④従って、古事記は、日本書紀の「179万2470余歳」という仰々しい文言に替えて、「御年137歳」を、神武誕生年を伝える暗号として記載したのである。
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