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2009年6 月10日 (水)

古事記の復元年代の算出方法(まとめ)

古事記の「御年」、「月日」、「治天下年数」はすべて暗号であり、復元年代はこれらの数字を用いて一定の計算式によって得られる。
基本となる計算式は次のとおりである。

『復元年代=基準年+(「御年」、「月日」、「治天下年数」の組み合わせ)-1』

1.基準年は、次の区分ごとに一定の数字が決められている。
神武~開化:137年(神武誕生年)
崇神~応神:162年(神武即位年)
仁徳~仁賢:362年(仲哀崩御年=応神誕生年)
武烈~推古:500年(継体の月日の合計値)
注1)筆者は、計算上180年を用いる場合があるが、180年は162年に12年(崇神の月日、12月)を加算した数字であり、簡略化して用いている。
注2)基準年と復元年代が大きな差がある場合、「百増、百減」の考え方に従い100年を加算する。
注3)復元年代を得るポイントは、「御年」、「月日」、「治天下年数」の組み合わせ(加算)により、小さい数字から順次大きい数字に並べ替えることにある。
従って、御年などの数字が当該天皇以外に用いられる場合がある。

2.上記の計算式では年代が読めない天皇(垂仁、景行、その他)がいるが、在位を次のように読み取ることができるので、読み取った在位より復元年代を計算する。
『復元在位=「御年」の数字を個々の数字に分解し、各数字を加算する』
 ただし、「月日」が用いられる場合がある。

3.日本書記において、応神は特別の存在か、解読方法が異なる。神功皇后の記事の中に応神の誕生年363年を潜ませ、応神の崩御の年齢41歳を在位41年とした。応神崩御の年代は403年になる。
古事記においては、神功摂政の在位を示さず、上記の解読を助ける。なお、応神の復元年代は、上記1に述べた基準年と古事記の記載数字から得られる。

古事記の崩年干支から読み取った年代(通説)は、正しい年代ではない。なぜ見せかけの年代を表示したのかについては、神功皇后に関わると考えられる。
解読された年代が正しい復元年代であることを証明するには、古事記だけでは無理である。そのことは、日本書紀の場合も同様で、日本書記の解読で得られた年代を日本書記のみで正しいとすることにも無理がある。古事記と日本書記の解読結果を見比べながら正しい年代を判断しなければならない。

古事記には暗号が存在し、正しい年代が隠されている。」と「古事記と日本書記の復元年代は基本的に一致する」という見解は、筆者の知識の範囲ではどこにもなかったと思っている。まして、古事記から正しい復元年代を解読したということもなかったと考える。その意味で、古事記の復元年代は、上記に述べたとおり、日本書紀の復元年代の正しさを証明する新たな根拠が得られたことになる。

古事記の復元年代は100%読み切れたわけではない。天皇によっては、複数の暗号が同居しているようなので、これからも継続し、より正しい年代を明らかにしていくつもりである。

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