日本書紀の孝安天皇崩御は248年(卑弥呼没年)
古事記では、孝安天皇崩御248年が読み取れていたが、日本書紀でも同様に、孝安天皇崩御248年を解読したので紹介する。
孝安天皇の崩御年を説明する前に神武天皇在位の計算方法を見ていただく。(方法が同じであるため)
神武在位は、次のように求める。
神武の太歳付与年BC667年~崩御年BC585年の在位は、83年
在位は四倍暦とし、83×1/4=20.75年
神武即位年BC660年と太歳付与年BC667年の間の7年間は実年である。
神武即位年~崩御年の在位は、20.75年-7年=13.75年≒14年
神武即位年を162年とすると、崩御年は175年[162+14-1=175]
同様の方法で、孝安崩御年を求める。
神武の太歳付与年BC667年~孝安崩御年BC291年の在位は、377年
在位は四倍暦とし、377×1/4=94.25年
神武即位年~孝安崩御年の在位は、94.25年-7年=87.25年≒87年
神武即位年を162年とすると、崩御年は248年である。[162+87-1=248]
同様の計算方法で、
孝昭崩御年は223年。
孝霊崩御年は267年、在位は19年。
孝元崩御年は282年、在位は25年
参考)古事記の孝安御年は123歳から孝安崩御年を求める。
123歳(一百二十三歳)を、112歳(一百十二歳)と113歳(一百十三歳)に分解する。
孝安崩御年は、248年[137+112-1=248](女王卑弥呼死す)
孝霊即位年は、249年[137+113-1=249](女王壹与立つ)
日本書紀及び古事記で248年(卑弥呼没年)が読みとれたことにより、卑弥呼が邪馬台国(やまとの国)の女王であったことが確実になった。
古事記において、249年には壹与と孝霊が、二王体制で邪馬台国(やまとの国)を統治したことも明らかにできた。壹与は、孝霊の妃となった倭国香媛(意富夜麻登玖邇阿礼比売命)である。
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