日本書紀に用いられた倍暦(春秋二倍暦、四倍暦)の手法
日本書紀の年代や在位は大幅に延長されている。この年代や在位の延長のため、1年を2倍の2年にしたとか、4倍にしたとか、諸説ある。その考えの代表的なものに、「春秋二倍暦」があるが、中国史書に「春の耕作期と秋の収穫期をもって、年紀とした」との記事から取られたもので、この「春秋二倍暦」が日本書紀において用いられたという主張である。
しかしながら、「春秋二倍暦」」をもってしても年代復元ができなかったのは、幾つかの理由がある。記紀の編者がどのような方法で年代や在位を延長したか述べる。
最も重要なことは、日本書紀の年代解読を一つの基準に当てはめようとしても、解決しないのであり、年代や在位の延長に関しても同様である。編者らは年代や在位を延長させるために多くの手法を編み出し、実行したのである。
その目的は、①国の正史として重厚なものに作り上げた。年代延長の嘘が見え見えでは失敗であるし、軽い、お粗末なものと看做されてしまうのを恐れたのである。
②編者らは知的な遊び心を持っている集団であり、アイディアを好み、競い合い、取り込んだのである。時代もそれをよしとしたのであろう。結果として、年代を延長したと分かっていても、正しい年代や在位の復元を困難にした。
③実際にどのような倍暦が用いられているかというと、筆者の解読結果では、等倍(1倍、実年と同じ)から30倍の倍暦が用いられている。
在位に限ってみると、2倍から約10倍である。(復元在位が変わると、倍率も変わってしまう)
神武~開化に用いられた「倍暦」の手法
各天皇の在位は「n倍×二倍暦」である。基礎としての二倍暦があり、さらに、その上に年数が加算(上乗せ)される。
各天皇は個々に決められた倍数(数倍から十数倍)になっている。
各天皇の合計在位は「n=2 」となり、4倍になっている。
「n倍×二倍暦」とは
神武から開化までは「二倍暦」が基礎になっているが、それでは年代延長が不十分であった。このため考え出されたのが、「二倍暦」を基礎にし、さらに「n倍」にすることであった。一律で2倍にしたのではなく、各天皇の年代を、陰陽道などで選ばれた年代に合わせ込むため、各天皇の倍数には自由度を持たせ、実年から見れば数倍から約10倍に延長した(二倍暦を基準にすれば上記倍数は1/2になる)。
神武の倍暦は特別である。太歳干支の付与されたBC667年から始まる。記載在位は83年であり、1/4は20.75年であるが、そこから7年を差し引くと、13.75年≒14年が在位になる。差し引いた7年は実年であり、これにより、神武即位年BC660年から在位計算を始めることができる。倍数は、76/14=5.42倍になるが、意味はない。
神武~開化の年数はBC660年からBC98年で在位563年に相当する。1/4は140.75年となり、開化崩御年は301.75年になる。復元年代は162年から301年までの在位140年である。
563/140=4.02で、約4倍になっている。
各天皇の例として、開化を取り上げる。
開化の最終年次は60年次である。この60年の内訳は、50年分が延長増加分であり、10年分が有効部分である。そして10年の有効部分は二倍暦であるから、実在位は1/2の5年となる。従って、n=60/10=6倍であるが、実在位から見ると、60/5=12倍である。
注2)分かりやすく説明するため、開化の有効部分を10年として説明したが、実際は9年である。
「春秋二倍暦」について
編者は編纂のために集められた元資料に、実際に「春秋二倍暦」の事例を見ていたと思われる。神武~開化の記事から春年と秋年の区別はつかない。記事は創作である。編者は、「春秋二倍暦」の春秋の区別を捨て、0.5年を単純に二倍して1年とする「二倍暦」を用いていたと考える。いずれも実質の延長度合いは同じである。
筆者は「二倍暦」の考え方であり、「春秋二倍暦」と「二倍暦」とは考え方としては別であると思っているが、解読において特に区別をしていない。筆者の「二倍暦」には「春秋二倍暦」も含まれる。
注意しなければならないのは、「延長」という表現である。二倍暦自体で二倍に延長されている。その二倍暦の上に年数の加算(上乗せ)があり、ここでも延長される。二倍暦も加算(上乗せ)も延長に変わりがない。筆者は二倍暦という表現に、既に延長分が含まれているものとして扱っている。
崇神~仁徳に用いられた倍暦の手法
神武~開化の倍暦は、4倍になっていると述べた。
崇神即位年から仁徳崩御年までの年代も4倍になっている。従って、神武から仁徳まで4倍である。(筆者はこれを「四倍暦」と呼んでいる。)
仁徳の倍暦は、神武の場合と同様に「からくり」がある。
仁徳崩御年は、神武暦1059年である。1/4は264.75年である。復元年代は427年である。
神武の復元年代は162年であるから、425.75年となり、427年にはならない。
1059年に7年を加え、1066年にしなければならない。神武の太歳干支の付与された年を基準に計算するのである。在位は266.5年で、復元年代は427.5年となり、一致する。
各天皇の在位の倍暦は、個々の天皇によって異なる。
仲哀の例では、記載在位が9年であるが、実年で書かれているため、実の在位も9年である。倍暦は等倍(1倍)である。
筆者は、神功皇后の在位はないものとみている。神功皇后に記載在位69年の1/4は、17.25年であるが、在位ゼロ年としているから、17.25年は他の天皇に振り分けられる。従って、各天皇の倍暦は4倍とはならない。
注目すべき点は、「n倍×二倍暦」の考え方を採用していないことである。
崇神においては、次の二通りの解釈ができる。
「n倍×二倍暦」では、68年の1/2が34年であり、34年が二倍暦であるから復元在位は17年となる。
四倍暦では、68年の1/4は17年である。
崇神の場合は、年代構成の方法が変わる過渡期として、両方の読み方ができるだけである。
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