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2009年6 月 7日 (日)

古事記の空白期間348年のからくりの解明

日本書記において、崇神崩御はBC30年であり、神武即位BC660年から630年後である。神武即位から崇神崩御までの10人の合計在位(空位も含む)は、631年である。
古事記ではどうであろうか。
崇神崩御は318年であるから、神武即位BC660年までの期間は978年となる。[318+660=978]
古事記では、神武から崇神までの10人の御年(みとし)の合計は、886年であり、上記の978年よりも小さい。
御年が寿命ではなく、在位年数を示すとしても、92年不足する。[978-886=92]
要するに、崇神崩御318年から御年の合計886年を遡ったとしても、日本書紀の神武即位BC660年には到達しない。

古事記には、「神武即位が紀元前660年にあった」とは書いていない。そのことが分かっている方には失礼するが、大半の人は、古事記と日本書紀に出てくる人物や物語が似ているから、神武即位も日本書紀と同様に、BC660年にあった、と思い込んでいるのである。

古事記の崇神崩御318年と日本書紀の崇神崩御BC30年の差は、348年である。
なお、日本書紀と古事記の合計在位の差を、347年[978-631=347]とみることもできるが、古事記の編者は、348年としている。(理由は、後で述べる。)
古事記には、この348年分が空白期間として存在する。
表現を変えれば、空中に浮かんだ楼閣のような存在である。勿論、楼閣は神武から崇神までの年代であり、空中に浮かんだ空間(年代の隙間)は、348年間に相当する。

次に、348年間はどこにあるのか、古事記の記載に基づき以下に述べる。
垂仁御年は153年であり、実在位は15年である。(即位319年)
景行御年は137年であり、実在位は15年である。
成務御年は95年であり、実在位は7年である。(崩御355年)
以上の3天皇の合計は、御年385年で、実在位は37年である。[355-319+1=37]
385年から実在位37年を差し引くと、348年となる。[385-37=348年]
なお、実在位37年は、古事記記載の崩年干支から読み取れる数字である。
即ち、「3天皇の御年の合計年数385年」は、「3天皇の実在位年数37年」と「崇神崩御年BC30年と318年の間の空白期間348年」を加えた年数である。

では、同じように168歳の長寿命である崇神はどうなっているのだろうか?
崇神御年168年は、68年に100年を加算した数字である。68年は日本書紀記載の崇神在位であり、実在位は17年である。
加算した100年は、空白期間の穴埋めには使われず、垂仁、景行、成務の長寿命に対し、最も長寿である168年とし、御肇國天皇としての体面を整えたのである。

以上述べたとおり、古事記には、驚くべき「からくり」があることを知ってもらいたいのである。
それを理解しないと、異常と思われる年代復元の方式を説明しても、容易には理解できないと考えるからである。

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