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2009年6 月 6日 (土)

記紀編者の言葉遊びと数字遊び

古代史のからくり」(発行:彩図社、19.8.1)の著者、西孝二郎氏は「記紀の中の言葉遊び」の中で、次のように述べている。
「記紀や万葉集に多くの言葉遊びといえるものが存在する。この時代は漢字使用の初期に属する。現代の我々がそのようなことを真似すれば、全く幼稚な遊びに過ぎないことになってしまうが、古代の人にとっては、それが文字の最善・最高度の使用法であったはずである。このような感覚の違いを十分に認識していなければならない。」
氏は、「言葉遊びの事例」として、次のような例をあげている。
・蘇我入鹿(いるか)が殺され、軽(かるい)皇子が現れる。
・百済の鹿深(かふか)臣が、弥勒菩薩をもたらした。鹿深は(ろくみ)と読め、弥勒(みろく)を暗示させる。
弥勒=666→蘇我馬子は仏法に帰依し、3人の娘を尼として出家させ、崇めた。易の思想では、6は女性を意味する陰の数字である。

上の二例は、アナグラムを利用した言葉遊びである。
アナグラムとは、単語または文の中の文字をいくつか入れ替えることによって全く別の意味にさせる遊びである。また、暗号に転置式とよばれる技法があるが、アナグラムといえる。

筆者も、記紀に記載された年代、在位、年齢、月日等の数字の中に、極めて多くの、面白い使い方を見てきた。
記紀の編者たちは、数字に対する遊び心を持っている。一見おおらかなようでもあるが、他方では緻密のところがある。そして数字の扱いを楽しんでいる。
筆者は、それを、記紀編者の「遊び心」の表れとした。言葉遊びだけでなく、数字遊びもある。そして、西孝二郎氏の見解に賛同する。

数字遊びの事例」を述べたいが、あまりにも多すぎる。年代や在位にも関係するので、よく理解してもらうには十分な説明が必要になるため、別途、順次述べていく。
最新の事例を1件だけ紹介する。
古事記において、神武から開化までの復元年代は、各天皇の御年で計算される。
計算の基本式はつぎのとおりである。
各天皇の崩御年=137+当該天皇の御年の年数-1
ところが、孝安の御年は123年であり、そのまま計算しても、前後の天皇の崩御年と噛み合わない。
百二十三年を、百十二年と百十三年に分解して、上記基本式で計算すると、248年と249年が得られる。
248年は、孝安の崩御年(退位年?)であり、やまと国の女王卑弥呼の死んだ年である。
249年は、孝霊の即位年であり、台与が女王になった年である。
「遊び心」がなければこのような暗号は作れない。
勿論、上記の結果だけで248年を女王卑弥呼の死んだ年、249年を台与が女王になった年と判断しているわけではないとだけ言っておきたい。

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