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2009年6 月11日 (木)

古事記自前の復元年代は、5倍暦で解読できる

「新説古事記復元モデル」(「記紀復元モデルの比較」2009/06/09 投稿の記事を参照)は、日本書紀の講義において復元年代を紹介するのに便利に出来ている。ちょっとしたメモさえあれば、各天皇の年代がその場で計算でき、復元年代の結果も日本書記とほとんど同じになるからである。
そのため、日本書紀の手を借りない古事記自前の復元年代は存在しないと思っていた。最近、神武東征から崇神までの間の各天皇の年代が古事記の御年のみで復元されることが分かったので紹介する。

表題に示した通り、各天皇の御年は5倍暦で書かれている。大体、5倍暦など使われるはずがないと思われるのは当然である。筆者も同様であったが、やはり5倍暦である。
常に記紀(古事記と日本書紀)の編者は同じことはしないと述べてきた。日本書記は4倍暦を基本にしているが、古事記は5倍暦であり、「同じことはしない」とは、まさにこのことである。
以下に古事記が5倍暦でできている根拠を述べる
神武から崇神までの10人の天皇の御年を加算すると、合計は886年となるが、崇神の御年168年は100年を引いた68年とする。合計は786年である。
次に、786年を5倍暦の年数と見做し、1/5を求めると157.2年≒157年が得られる。
崇神崩御年は既知の318年であるから、157年遡ると、神武即位年は、162年となる。
[318-(157-1)=162]

また、日本書紀のニニギ降臨の暗号「179万2470余年」から得られる822年は神武即位年を指したが、古事記においては、次の式が示すとおりの意味である。
[786+37-1=822]
上記の式の37(実質36)は5倍暦で、7.4年(実質7.2年)を意味する。即ち162年から東征開始年7.4年を引くと154.6年(実質154.8)で、155年とすると日本書記の東征開始年であり、太歳干支付与の年である。
(なお、弘仁私記序に現れるBC738年は4倍暦の数字であるから、ここには現れない。)

次に、各天皇の在位を求める。古事記には御年しか記載がなく、その数字は5倍暦であるから、御年を1/5にすると在位になる。
神武:137年×1/5=27.4年。 綏靖:45年×1/5=9年。 以下同様に計算する。
在位の合計は、合計在位で計算した在位157年となる。
古事記自前の復元年代は、日本書紀の復元年代や「新説古事記復元モデル」と一致しない。上記の内容から推測すると、この5倍暦は、神武の在位と神武~崇神崩御の期間に対してのみ適用されるらしい。

この古事記自前の復元年代から分かることは、神武即位162年と崇神崩御318年の関係を明らかにしてくれたことである。
参考として、「表94 古事記の5倍暦復元年代」を添付する。

表94 古事記の5倍暦復元年代

追記(2009/10/17)
最近になって、古事記の復元年代が5倍暦でできていることをチェックした結果、新しい発見があったので、その内容を述べる。

筆者は、「古事記自前の復元年代は、5倍暦で解読できる」の記事では次のように述べた。
「神武から崇神までの10人の天皇の御年を加算すると、合計は886年となるが、崇神の御年168年は100年を引いた68年とする。合計は786年である。
次に、786年を5倍暦の年数と見做し、1/5を求めると157.2年≒157年が得られる。
崇神崩御年は既知の318年であるから、157年遡ると、神武即位年は、162年となる。[318-(157-1)=162]
(崇神崩御年318年から御年の合計年数を遡ると、786年はBC467年となる。また、886年はBC567年となる。)」

少し説明が不足している。(新しい発見があり、補足する。)
「神武から崇神までの10人の天皇の御年を加算すると、合計は886年となる。
古事記の崇神崩御年は既知の318年であるから、886年遡ると、神武即位年は、BC567年となる。[318-(886-1)=-567]
日本書記の神武即位年BC660年には100年不足する。」

「上記の5倍暦の計算では、崇神の御年168年を68年としたが、100年減じるだけなら崇神と決めつける必要はない。神武の御年137歳を37歳と見做し、100年を減じても同じである。では、この100年は何を意味するかであるが、4倍暦で実25年を意味する。
上記の5倍暦の計算では、100年減じた数字を用いて、崇神崩御年の318年から計算し、神武即位年の162年を得た。100年を4倍暦とし、25年を加味すると、137年になる。」

古事記の年代を纏めると次のようになる。
古事記の御年の年数を在位年数と見做し、既知の崇神崩御年は318年から遡ると、記載上の神武誕生はBC567年、即位はBC467年となる。
神武誕生年から即位年までの期間は100年で、4倍暦と見做すと実年数は25年となる。
神武即位年から崇神崩御年までの期間は、786年で、5倍暦と見做すと実157年となる。
崇神崩御年から実年数を遡ると、神武即位年は162年、誕生年は137年となる。
復元された神武即位年および誕生年は、日本書紀の復元年代と一致する
。」

この結果が、古事記の解読に関係するか、まだ検討できていない。

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