古事記の年代復元に用いる基準年「500年」の根拠
「古事記の復元年代の算出方法(まとめ)」において、復元年代を計算するのに「500年」という数字が基準年の役割を果たしていると述べた。
基本となる計算式は次のとおりである。
『復元年代=基準年+(「御年」、「月日」、「治天下年数」の組み合わせ)-1』
基準年は、大凡、次の区分ごとに一定の数字が決められている。
神武~開化:137年(神武誕生年、神武御年137歳)
崇神~応神:162年(神武即位年)
仁徳~仁賢:362年(仲哀崩御年=応神誕生年、仲哀崩年干支からの読み取り)
武烈~推古:500年
500年以外の基準年の年数は、明確な根拠を持っている。162年は古事記には直接表れない数字であるが、神武誕生年から容易に推測できる。
では、500年とは一体何を根拠としたのであろうか。
「500年」の根拠
日本書紀の最後の記載年代は697年即ち神武暦1357年である。
神武から仁徳までの年数、在位は4倍暦であるとしてきたが、上記の1357年を4倍暦で読むと、339年となる。神武即位元年を復元年代162年に置き換えれば、日本書紀の最後の年の4倍暦の年代は500年となる(厳密には、500.25年である)。
推測すると、日本書紀の編者は延長された歴史を創作する過程で、500年という数字を知っていた。しかし、日本書紀においては、表面上利用できる数字ではない。
古事記の編者も500年の意味を知っていた。そして、上記のとおり復元年代の計算式の基準年として活かした。
日本書記の編者も500年を検討した。その名残が、継体元年の月日に表れている。
継体元年の月日は9件の記事に記載されている。数字を合計すると100年と読める。100以外に読むことも可能だから、正確性を欠いている。さらに読み込むと、5とか12が読み取れ、500年と(1200年)を基準年と見做した。ただし、継体元年が西暦500年を意味するとは考えていない。
古事記と日本書紀の強い関係
古事記には、500年を示唆するものは見られない。
推測として、古事記の500年の根拠を述べたが、基準年とするからには、上記のような重みのある数字が必要だったのであろう。しかし、その根拠となったのは、日本書紀の数字である。
古事記が正しいと考える復元年代を伝えるために、重要な基準年に日本書紀の数字を用いたということは、日本書紀と極め強い関係があることを示している。
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