記紀の暗号を解読するとは
旧ブログにおいて、副題として、「記紀の数字(暗号)に基づき、年代を復元する」とした。字数制限の中でのことである。そのためか、「記紀の数字はすべて暗号」というような誤解を与えたかも知れない。さらに、暗号が一つ解けたと思うと、あっちの数字もこっちの数字もみんな暗号ではないかと思いたくなる。暗号にのめりこんだ状態で、つい、そのような表現をしてしまう。
そのような訳で、暗号について筆者の思うところを述べてみる。
日本書記のニニギ降臨の暗号「179万2470余歳」を例として、暗号について述べる。
「179万2470余歳」に関して、日本書記の編者は暗号であるとは一言も云っていない。しかし、鍵を共有した編者は、当然元の意味を読みとれるが、それは解読とはいわず、復号という。
解読とは、鍵を与えられていない第三者が、暗号に隠された意味を読みとることをいう。
暗号を作成した編者が不特定な相手に「これは暗号ですよ」と教えてくれることはない。それどころか、作成者は、暗号であることを見破られないように様々なことを考える。
不特定な受け手の側は暗号かも知れない、という仮説から始まる。暗号と見做して解読に挑戦するのは、受け手の側の問題である。
暗号である可能性にかけ、解読できれば、「よかった」となり、初めて暗号であったことが確認される。
逆に、暗号なのだが能力不足で解読できない場合もあれば、無意味な数字を暗号と見間違えることもあり得る。重要なことは、暗号かもしれないと思うことで始まり、その結果として、暗号でなかったということが確認されるのである。
受け手は、仮説として、「179万2470余歳」を、前後の文面から、ニニギが降臨してから長い期間が経ったという意味の「期間」を指していると想像する。「179万2470余歳」を作成した編者が、何らかの伝えたい期間を数字の中に潜めたと考えるからである。
実際の「179万2470余歳」の解読において、1から最後の7までの数字を加算し、300年と読む。
さらに、受け手の側は、期間だけでなく年代を示唆する数字までも期待する。
出現した数字「822」を、神武暦「822年」と読み取る。最終的に解読結果が、別の情報や別の観点からも裏付けられれば、仮説は正しかったと言える。
筆者は欲をかき過ぎたか、一部の数字が解読できたとき、編者の時代から見て過去の年代であったため、未来の年代があるかも知れないと思った。日本書紀は「讖緯思想に基づく予言書」という記事を目にしていたからである。
実際には、空振りに終わり、日本書紀は予言書ではなかった。
暗号とは、符牒(符丁)でもある。一般的に市場などで用いられる符牒は、数字を変換したものであり、文字が介在しなくても成り立っている。
ある数字が、一見すると理解できないが、何らかの意味を潜めていて、その数字を解読し、理解できる数字として読み取ることを、「数字の暗号を解読する」と呼んでいる。
「数字による暗号」の事例をあげておく。
・三島由紀夫の短編小説に、「クロスワード・パズル」がある。ホテルの鍵の番号が題材になっている。ホテルの「217」の鍵番号が、「2月17日」を意味し、男女の逢引の月日になっている。ご丁寧に、2と17の間に口紅で線を引いて、「2月17日」を気づかせようとした。心理を描いた小説と考えれば、暗号は二の次ということか。
・モーリス・ルブランのルパン傑作集の「813続編」は、「813」と書かれた紙片があって、機密文書の隠し場所を示していた。8+1+3=12なので、12番目の部屋を意味する、とルパンは推理した。数字を加算して答えを求めるのは、ニニギの暗号の解読と同じである。
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