Google
 

« 古事記の年代解読における「1年」の疑問 | メイン | 古事記の暗号解読と復元年代(まとめ) »

2009年6 月10日 (水)

古事記「序」の暗号解読結果

古事記の「序」は、記載された年代が後の時代に作られたもので、偽書であるとされる。
筆者も偽書であるという感触を持っているが、これについては別途述べることにする。
今、古事記の「序」に記された詔と献上の「年月日」について述べようとしているが、記載された「年月日」が正しいかどうかではなく、先ずは、暗号として何が得られるかである。
説明の方は解読方法についてかなり略しているため、次の表の解読結果を見てから記事を読まれるのがよい。
「表91-1 古事記「序」の暗号解読結果」を見ていただきたい。

表91-1 古事記「序」の暗号解読結果

詔「和銅四年九月十八日」と記載され、暗号解読は西暦137年となる。
日本書紀の解読結果に照らしてみると、137年は神武誕生年の復元年代を示している。

献上は「和銅五年正月廿八日」で西暦162年および175年と解読できる。162年は復元年代の神武即位年を示し、175年は神武崩御年を示している。
以上の読みは、和銅4年(711年)および和銅5年(712年)を基に暗号解読したものである。正しくは西暦ではなく、シンメトリックから読んだニニギ暦(神武暦661年を元年とする)に読み替えて行ったものである。また、古事記の「序」の解読結果は、日本書紀の記載年代および復元年代に照らしてみると、日本書紀の解読結果と完全に一致している。

古事記の「序」の献上の「和銅五年正月廿八日」の後に「正五位上勲五等太朝臣安萬侶」と記されていて両方を一つの暗号として、「正五位上勲五等]と記された「五」を読み込むと、175年になる。
「正五位上勲五等太朝臣安萬侶」を単独で読むと151年になる。
暗号解読としては、多少あやふやな読みである。

「古事記は日本書記の解読書である。」の意味

筆者は、日本書紀の解読を進めてきたお陰で、古事記の解読も可能になった。日本書記の情報がなければ、古事記の「序」の解読もできなかったであろう。古事記の情報量は、日本書記の情報量に比べ極めて少ないからである。
それにもかかわらず、「古事記は日本書記の解読書である。」と説明をしてきている。
日本書記の解読結果が正しいかの判断をする場合に、古事記の結果と一致するということが極めて重要である。その意味では、古事記は模範解答ということになる。

筆者の経験では、古事記の結果と日本書紀の結果が一致しない場合に、再度検討を加えていくと両者が一致するようになる。古事記の解読を修正した場合もあれば、日本書紀の解読を修正したこともある。古事記も暗号解読によって復元年代が得られるのであるから、その解読結果が絶対に正しいということにはならない。その意味において、記紀の両者の結果が一致するということが意味をもっているのである。

献上712年の信ぴょう性

詔の711年と献上の712年には暗号の意味があり、神武の誕生年や即位年に結びつく。他方で712年に古事記が献上されたとすれば、偶然に一致したと解釈するしかないが、その解釈には疑問がある。日本書記を熟知した「序」の編者が711年および712年を選択し、設定したと考えた方が妥当と思われる。

<

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
https://www.typepad.com/services/trackback/6a0120a6b19efd970b012875b3e5c0970c

Listed below are links to weblogs that reference 古事記「序」の暗号解読結果:

コメント

この記事へのコメントは終了しました。