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2009年6 月 5日 (金)

日本書紀の紀年論と復元年代の紀元

大辞林によれば、紀年とは、ある紀元から数えた年数、と説明される。筆者は、延長された年代で記載された日本書紀の復元年代の紀元を明らかにすること、それを論じることを紀年論と理解していた。
日本書紀の紀年および紀年論について述べようとしたら、別の意味があるようだ。
「日本書紀の真実…紀年論を解く」の著者、倉西裕子氏の紀年論を借用させてもらう。
「明治時代の活発な紀年論争の過程において『紀年論』という研究分野が形成された。『紀年論』とは、日本書紀の編年の構造を解明し、史実に基づいた紀年と実年代との関係を再構築していこうとする学問領域のことです。」
ということで、歴史の専門家の解釈と多少異なるかも知れないが、筆者の紀年論を述べることとする。

神武暦とニニギ暦の関係

まず、次の仮説を見ていただく。
日本書紀の編者は、編纂にあたって年代を大幅に延長した。その際に用いた紀元は、神武即位BC660年(辛酉の年)であった。「神武天皇即位紀元」である。
それに対して、日本書紀の復元年代(実年代)の紀元は、ニニギ降臨の暗号に記載されていることから、「神武天皇即位紀元」(以下、神武暦と呼ぶ)に対応させ、「瓊瓊杵尊降臨紀元」(以下、ニニギ暦と呼ぶ)とする。

日本書紀の表に現れた年代、即ち記載年代は神武暦で示されているが、裏に隠された復元年代はニニギ暦で示される。陰陽道における、陰と陽である。
なぜ、660年しか違わない二種の暦を用いたのか、一言で言うなら、編者らは虚の世界(延長した年代)に用いた紀元を、実の世界(正しい年代)には用いたくなかったのである。(詳細は別途述べる。)

上記の仮説に基づき、ニニギ暦元年の年代が具体的に何時なのかを順次明らかにする。
1) ニニギ降臨の暗号「179万2470余年」の解読結果として、「822」が得られる。「822」とは、神武暦822年を意味する(西暦162年である)。この年を神武即位の年と見做す。
暗号の解読結果及び解読方法については、「ニニギ降臨の暗号『179万2470余年』の解読」を参照してください。
2) 日本書記の人代は、神日本磐余彦尊(神武)が15歳になったときの立太子年から記載され、年代は神武暦前37年(西暦BC697年)である。
他方、日本書紀の記述は、珂瑠皇子(文武)が15歳になったときの立太子(即位)年で終わる。神武暦1357年(西暦697年)である。
日本書紀の編者は、数字に関わるいろいろなアイディアを採用したが、特に「シンメトリック(対称性)」には強い関心を示している。上記の二人の立太子の年代はシンメトリックであり、その中心は、神武暦661年(辛酉の年、西暦元年)である。
3) 日本書紀の編者は、シンメトリックの中心の神武暦661年を「瓊瓊杵尊降臨紀元」として設定した。神武暦661年は、ニニギ歴元年となった。
ニニギ降臨の暗号「179万2470余年」を解読し、得られた822年は神武暦であり、ニニギ暦(西暦)では162年である。162年は、神武即位年に当たる。

ニニギ暦と西暦の関係

日本書紀の編者は、「西暦」の存在を知らない。
上記1)、2)の文中で、参考として西暦の年代を記した。大凡の年代を理解してもらうためである。実際には、記紀編纂の西暦700年頃に西暦は存在しない。西暦が形をなすのは14世紀以降である。西暦はイエス・キリスト生誕紀元である。
ニニギ暦と西暦は、神武暦661年を紀元とする。偶然同じ紀元なのである。いずれも、辛酉の年を紀元としたための一致であろう。ニニギ暦は上記のような明確な根拠がある。胡散臭いと思われるなら、西暦の紀元がなぜ辛酉の年なのか、を疑ったほうがよい。
それよりも、ニニギ歴と西暦が一致していることは何かと便利なことである。

「仮説」を取り除かなければならない。冒頭に述べた倉西裕子氏の「紀年論」の「史実に基づいた紀年と実年代との関係」を明らかにすることができればよいのだが、神武即位年の史実ということになると意味がわからない。
結局のところ、「仮説」が確かであることを、多くの事例を集め確認していかなければならない。主要な事例を紹介し、その他は個別の記事で取り上げていくこととする。
1) 神武の年代は次のように解読される。年代は、ニニギ暦(西暦)であるが、略す。
神武誕生:137年、1歳
神武立太子:151年、15歳
神武即位:162年、26歳(記載52歳は2倍暦で、実年は26歳)
神武崩御:175年、39歳
古事記の神武御年は137歳である。神武誕生を示し、137年であり、上記と一致する。
2) 「179万2470余年」の暗号の解読から、「300余年」または「150余年」が読み取れる。天祖瓊瓊杵尊(ニニギ)の降臨から御肇国天皇である崇神の即位までの期間が300余年であること、あるいはニニギ降臨から神武の東征までの期間が150余年であることを意味する。
神武東征開始:155年、19歳
崇神即位:302年

「表1 神武暦とニニギ暦の関係」を参照してください。

表1 神武暦とニニギ暦の関係

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