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2009年6 月16日 (火)

神武東征の年代を復元する

神武は15歳で立太子を迎えた後に、塩土老翁(しおつちのおじ)からニニギの降臨のいきさつや東に美しい国があることを聞き、東征に出発する。様々な苦労の末、東征に成功し、26歳で即位する。
東征の内容については、古事記と日本書紀に詳しく書かれているし、多くの学者が東征について説明してくれているので、くどくどと説明する必要はないであろう。ここでは学者の誰も正しく説明できていない、神武誕生から東征を経て、即位までの復元年代を紹介する。古事記と日本書紀に記載された年代に関する記事を比べると年代が異なるように見えるが、それぞれ年代の表現方法が異なるだけで復元結果は基本的に同じである。記紀の年代構成について以下に述べる。末尾に資料を添付したので、参照していただきたい。

日本書記は誕生から立太子までの15年間と東征の7年間は実年で記載
日本書紀では、西暦前711年の誕生から前660年、52歳で即位するまでの52年間の動向が記載されているが、52年が復元で何年かという意味では、52年は実年の26年を二倍に引き伸ばしているとみてよい。しかし誕生から立太子15歳までは実年で書かれている。東征の出発は立太子直後でなく、19歳(記載は45歳)になってからである。19歳から25歳までの東征の7年間は実年で記載されている。そのため、16歳から18歳までの3年間は約10倍の29年間に伸ばされている点が特異である。

記載年代そのものの根拠
誕生の西暦前711年は、「前660年52歳で即位」から読める。
立太子年の前697年も記載されていないが、15歳で太子に立ったと明示されているため、「前660年52歳で即位」から読める。また、日本書紀の終りが文武の立太子年であり697年であることからシンメトリックを形成していると考えられこと、文武天皇元年672年から「37の37倍」の1369年遡った年が前697年であること、などが根拠になっている。
東征出発は、45歳と記載されており、前667年である。

神武即位前紀の復元年代
復元年代は、ニニギ降臨の暗号「179万2470余歳」から、神武暦822年=ニニギ暦(西暦)162年が神武即位年であると読み取り、復元の基本に据えている。記載年代の二倍暦を解消すると、誕生年は137年、立太子年151年、東征開始155年などが得られる。また、東征の各年代は、記事の「月日」を解読し(正確度には多少疑問があるが)、得られた年代である。

東征出発の年に太歳干支が付与されている
また、日本書紀では、45歳で東征に出発するが、この年西暦前667年に太歳干支が付与されている。この意味としては、年代や在位計算の基準年になっている点が明らかになった。従って、計算の基準は、太歳干支の付与年西暦前667年と神武即位年西暦前660年の二通りの計算が可能になる。対象によって、使い分けがなされている。

古事記の東征の記載
古事記は、データが少なく、日本書記から推測するのが多くなるがやむを得ない。日本書紀と同様に、西暦前660年、52歳で即位するまでの52年間が二倍暦で書かれているとみてよい。東征は立太子の直後から始まっていて、筑紫1年、阿岐7年、吉備8年の滞在となっている。合計16年間の長期間滞在は、二倍暦によるもので、実年は8年である。日本書記と同じ19歳で東征に出発したとすると、年数が不足する。
なお、古事記の神武御年137歳は暗号であり、ニニギ暦(西暦)137年に神武が誕生したことを示す。古事記は神武即位以前の2倍暦の記載を実年に戻すと、すべてが137年以降の歴史となる。上記の比較は、東征の部分のみを取り上げて比較したものである。

「表51 神武紀元前紀の記紀比較」を参照。

表51 神武紀元前紀の記紀比較

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