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2009年6 月16日 (火)

古事記の御年(みとし)の暗号とは何か

古事記の御年(みとし)の暗号とは何か
古事記を読むと、各天皇の記事の末尾に御年が記載されている。
神武の例では次のようになっている。
「神倭伊波礼毘古天皇の御年(みとし)、一百三十七歳。御陵(みはか)は畝火山の北の方の白檮の尾の上にあり。」
誰でも、御年を崩御の年齢と考えるであろう。
実は、御年で示された数字は年齢ではなく、年代と解釈しなければならない。神武の場合は、ニニギ暦(西暦)137年に神武が誕生したという意味になる。

上記のような驚くべき解釈は、古事記単独では読めるはずがない。そのように解読できるのは、日本書紀の紀年と併せて捉えた時に初めて可能になるのである。
ここでは、古事記の紀年に関して述べる。
日本書紀の復元年代に関しては、「日本書紀の紀年論と復元年代の紀元」において述べたが、御年137歳(年)は、神武誕生年で一致する。
137年から137年遡った元年は、日本書紀でいうニニギ暦元年に当たる。
神武の御年だけなら、偶然の一致と思われても仕方がない。しかし、各天皇の御年も年代に関わる数字なのである。

前置きはこの辺でやめにして、古事記の復元年代の算出方法を紹介する。
復元年代の算出においては、神武の御年137歳は重要な基準年となる。
綏靖から開化までの各天皇に御年が記載されている。復元年代は基本的には次の式で表される。

復元年代(崩御の年代)=137年+御年-1年

綏靖の場合は、御年45歳であるから、181年が崩御の年になる。[137+45-1=181]
安寧の場合は、御年45歳であるから、185年が崩御の年となる。[137+49-1=185]
1年を引くのは、年令と年令を足すと1年多くなるという考えからである。
日本書紀の記述から得られた復元後の数字を借用した例を示す。
神武の即位は、26歳であるから、162年となる。[137+26-1=162]

素直に読めるのはここまでであるが、基準年は137年→162年→362年→500年と変わっていく。また、御年だけでなく、月日の数字、治天下年数が加わり、神武から推古までのすべての天皇の年代が解読される。解読された年代は、ほぼ日本書紀の復元年代と一致する。

古事記には年代などに関する数字は極めて少ない。従って、復元年代が隠されているとは考えない。しかし、記載されたわずかな数字には、とんでもない、しかし、すばらしい「からくり」があった。
特に、卑弥呼と壹与の年代が隠されていたのは驚きである。
古事記の御年(みとし)が示す紀年論と復元年代」を見ていただきたい。

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