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2009年6 月 9日 (火)

記紀の復元モデルの比較(神武~推古)

記紀の記載年代を解読して得られた復元年代は、添付する「表3 記紀の復元モデルの比較」(2009/05/22改訂)のとおりである。ぜひ、見ていただきたい。

3 記紀の復元モデルの比較

当初は、「日本書紀復元モデル」と「古事記復元モデル」から出発している。日本書記を解読して、古事記の崩年干支の年代と一致したのを素直に喜んでいたころのモデルである。

その後、疑問のあるところを解読し直し、得られたモデルが「修正日本書記モデル」と「新説古事記モデル」である。

当初のモデルと異なるのは、次の観点で見直した結果である。

1)「新説古事記モデル」は、古事記の御年の読み方が年齢ではなく、年代を示していることに気付き、得られた復元年代である。

2)「修正日本書記モデル」と「新説古事記モデル」の両モデルは、神功皇后の年代への関与を否定した。

3)孝安崩御年(孝霊即位年)の見直しによって得られた年代に基づき修正を加えた。

(まだ、多少疑問も残っている。)

「修正日本書紀復元モデル」と「新説古事記復元モデル」間を比較してみると、仲哀の崩御年が2年食い違うだけである。それに伴い、仲哀と応神の在位も変わっている。

記紀の復元年代は、基本的に一致するはずと考え、記紀の間を行ったり来たりして進めてきたが、記紀のそれぞれの編者の年代の捉え方が完全に一致していたという保証はない。

また、筆者自身が記紀の両方から得た知識を共有しているのであるから、自然にそれに誘導されている可能性もあると思われるが、致し方のないことである。

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