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2009年7 月 8日 (水)

日本武尊(倭建命)と仲哀天皇の年令を探る

日本武尊はどういう人物であろうか
以下に、日本武尊と皇子である仲哀天皇に関する復元年代について述べるが、先ず、「表107 日本武尊と仲哀天皇の年次表」を見ていただきたい。
この「表107」は、「表12-2 崇神~仁徳復元年代の詳細」に、日本武尊の年代を付加したものである。

表107 日本武尊と仲哀天皇の年次表

日本武尊の復元年代では、329年、景行天皇15歳の時に生まれ、日本童男(小碓命)と呼ばれる。
景行27年次(復元7年次)344年、景行天皇の命を受けて、16歳で熊襲征伐に出る。熊曾武を討った時より日本武を名乗る。[「景行27年-16歳日本武」は重要なチェック事項である。年次表が正しいことを証明する事項であるから覚えておいてほしい。]
日本武尊は、景行28年次(8年次)345年、熊襲を平定して西国より帰国する。景行40年次(10年次)347年、19歳のとき再び天皇の命を受けて、東国平定(古事記では、東征)に向かう。景行41年次(11年次)348年に、東国から帰る途中、三重の能褒野(のぼの)において亡くなる。記載では30歳で亡くなったとする。
復元年代は、景行27年次と景行40年次の間に10年間延長が加えられており、これを減じると41年次に20歳で亡くなったことになる。日本武尊が30歳となる年代は、単純計算では51年次に相当するが、景行42年次からは9年間延長されているため、これを減じると、日本武尊は景行60年次に30歳となる。

日本武尊は、景行天皇の崩御の年に亡くなった
仮に、記載のとおり30歳で亡くなったとすると、復元年代は358年となり、景行天皇崩御の年と同年である。日本武尊が天皇であったという見方もあるようだが、このことから生じたのかも知れない。しかし、前述したように、日本武尊の誕生年は329年で、景行15歳の時に生まれたのである。太子であったと記載されているが、天皇であった根拠はないし、分身というのも当たらないようだ。
編者は、日本武尊がいつ生まれ、いつ亡くなったか分らなかったので、それならば、ということで、景行15歳の時に日本武尊が誕生したとし、景行崩御44歳のときに合わせて、日本武尊が30歳で亡くなったと設定したのである。
なお、「景行天皇と日本武尊の崩御を同年に設定した」ことには、編者の素晴らしい企み(数字のからくり)が秘められている。(後述する。)

仲哀天皇は、日本武尊が亡くなった翌年に誕生する
成務天皇の復元年代は、成務48年次、359年に即位し、成務60年次、371年に崩御された。仲哀天皇即位前紀には成務48年次に31歳で太子になったと記載する。
[「成務48-31歳仲哀立太子」も重要なチェック事項である。]
また、成務崩御のとき、仲哀は43歳であった。仲哀天皇の即位は44歳で、崩御は52歳、在位9年である。
仲哀天皇の復元年代では、仲哀9年380年に崩御した。「31歳の立太子」を「仲哀の誕生」に読み替えると、仲哀の誕生は359年となり、380年、22歳で崩御したことになる。
仲哀天皇の誕生した359年は、成務天皇即位年であって、景行天皇と日本武尊の崩御の翌年に相当する。日本武尊は1年違いで、すでに亡くなっていることになる。

日本武尊は亡くなり、仲哀天皇として復活する
ここで編者が考えた企みを見よう。
日本武尊は358年に30歳で亡くなったが、仲哀天皇が359年に31歳で引き継ぐ。記載には現れないが、仲哀天皇の誕生と日本武尊の誕生年は同年なのである。
さらに、記載上では仲哀は31歳で立太子となるが、復元においては、立太子は誕生を意味する。すなわち、「日本武尊の年代(および年齢)を仲哀天皇が引き継ぎ、併せて仲哀天皇の誕生として日本武尊は復活する。」日本武尊と仲哀とは同体の如く緊密に繋がっているのである。日本武尊の皇子が仲哀天皇であることは明瞭である。

似て非なること
日本武尊は死んで、血の繋がった皇子の仲哀が誕生する。日本武尊の復活である。
仲哀天皇が死んで、応神が誕生する。仲哀天皇は応神天皇に殺される。さらに仲哀の幼い皇子らも殺される。
日本書記は同じパターンが繰り返されることがあるが、「似て非なること」の代表例である。

諸説に対する見解
日本武尊や仲哀天皇に関しては、いろいろな説が見られる。
日本武尊は複数の人物を集合させた、という見解もある。数字から複数の人物を引き出すことはできない。決定的のおかしいのは、複数の人物の集合体から仲哀天皇が生まれたとでも言うのであろうか。それでも、複数の人物の業績を、日本武尊に集合させた、という意味なら納得できる。現に、東征の際には、吉備の武彦と大友武日連を従えている。

また、「日本書紀では、父日本武尊の死後36年も経ってから生まれたことになる不自然な証拠からも、仲哀天皇架空説は根強く言われている。」そうである。36年という数字から判断すると、記載年代の比較らしい。日本書記が大幅に年代延長していること、正しい判断には復元した年代で行うことを知らないとでもいうのであろうか。もっとも、「記載年代においても年代の整合性が採られているはず。」といいたい気持ちは、分らないわけではない。
しかし、「記載年代においても年代の整合性が採られていなければならない。」となり、突き詰めれば、「年代延長という嘘に合わせて、嘘をつき通せ」となってしまう。そこまで考えることでもなかろう。

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