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2009年8 月22日 (土)

仲哀天皇の「年月日の暗号」を解読する

日本書記における仲哀天皇の「年月日の暗号」の解読結果を紹介する。
読者の皆さんには、「年月日の暗号」があることは述べてきたが、積極的に紹介することをしてこなかった。
理由は、「年月日の暗号」が極めて原始的な暗号であり、確証が得られるまで発表を控えてきたためである。
他の手法により信頼できる復元年代が得られてきた。やっと、「年月日の暗号」から見た場合にはどのようになっているかを再確認することができるようになってきた。それにより、編者が年代や在位についてどのように考えていたか、より明確にできると考える。

仲哀天皇の「年月日の暗号」の解読結果
解読結果は「表110 仲哀天皇の『年月日』の暗号解読」に示したので見ていただきたい。

表110 仲哀天皇の『年月日』の暗号解読

日本書記解読1と解読2を比較しながら見ていただきたい。
解読1と解読2の結果は、仲哀天皇の崩御年を示すが、これは「年代(数字)のからくり」である。神功摂政1年(201年)が、363年を示唆するための見掛け上の年代を示すものであり、これにより応神の誕生年363年を指定している。
解読2の結果は、仲哀天皇の復元年代における正しい仲哀崩御年380年を示している。
上記の結果は、他の手法、例えば仲哀天皇や応神天皇の個別の年次表および各天皇を集めた合成年次表の結果と基本的に一致する。

記紀間の復元在位の食い違いは仲哀天皇と成務天皇のみである
しかし、古事記の仲哀天皇の崩御の復元年代は380年で、日本書紀の復元年代と一致するが、即位年の復元年代は一致しない。仲哀天皇の場合には、在位が9年なのか7年なのか、記載在位においても日本書記と古事記では異なっているが、復元においても同様に異なっている。
日本書記の仲哀即位年は372年、在位は9年であり、古事記は即位年374年、在位7年である。それに伴い成務の在位も2年異なる。
このような日本書記と古事記の間の在位の食い違いは、仲哀天皇と成務天皇に限られるようである。

日本書記の「神功皇后摂政在位零のからくり」
「表110 仲哀天皇の『年月日』の暗号解読」に記したように、日本書紀の復元年代には「年代(数字)のからくり」があり、神功皇后の摂政の在位が零であるすれば、この「見事なからくり」の意味も分るというものである。
解読1で示される結果は、362年の翌年363年に重要な意味がある。記紀の編者は、応神の誕生、363年を明確にした。
解読2は、解読1で仲哀天皇の崩御年が使われてしまったため、正しい崩御年を解読するための暗号を崩御年の「年月日」に仕掛けた。
解読1で得られた応神誕生363年と共に、応神の崩御年齢を在位41年として示唆することにより、応神天皇の復元を可能にしてくれたのである。
ちなみに、応神天皇は、363年誕生、381年19歳で即位、403年41歳で崩御となる。

古事記は日本書紀の解読方法を示唆する
古事記は、日本書記とは異なる暗号をもって仲哀天皇と応神天皇の復元を可能にしている。さらに、古事記は、日本書紀の仲哀天皇の崩御年の解読方法を、応神天皇の事例を用いて示唆してくれる。
古事記の応神天皇の年月日は、九月九日と記載されているが、「九九=八十一(81)」で、応神即位年が381年であることを示す。従って、仲哀天皇の崩御年は前年の380年である。示唆の重要なポイントは「九九の九の段の活用」である。
日本書記の解読に、「九九の九の段」を応用すれば、仲哀崩御年は次のようになる。
「九五=四十五」+「九七=六十三」+九八=七十二」=百八十年(180) から
二百年+百八十年=三百八十年(380年)
[(9×5)+(9×7)+(9×8)=45+63+72=180→200+180=380
なお、計算に用いた二百年とは、日本書記の仲哀天皇崩御の記載年代である。

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