Google
 

« 仲哀天皇の「年月日の暗号」を解読する | メイン | 孝元天皇~崇神天皇の年次表を解読する »

2009年8 月24日 (月)

「古代天皇長寿の謎」(著者貝田禎造、六興出版)の功罪

記紀の年代復元に関する学者の見解の中に、よく引用される本に「古代天皇長寿の謎」(著者貝田禎造、昭和60年12月15日、六興出版)がある。
どんなものかと思い、古本屋から購入して見た。「古代天皇長寿の謎」という題名から、古代天皇の年齢に関して何らかの示唆があるものと考えていたが、年齢については何も示していない。だまされたような気がしたが、帯に長寿の<意味>とあるので、早合点であった。しかし、年齢に全く触れていない点は残念である。

実証的な取り組みによる倍暦の発見
副題に「日本書記の暦を解く」とあり、こちらの方は日本書紀に記載された「月日」に関する情報をよく整理されていて、4倍暦と2倍暦の根拠が示されている。
日本書記に記載された「月日」を解析され、暦が倍暦からなることを解いている。従来にない実証的な取り組みの結果から導き出された「倍暦」の発見であった。このため、多くの学者が引用し、日本書記の年代解読に大きな影響力を持ったようである。
筆者も倍暦に関して余りくどくど説明しなくて済むのも、このような書物のお陰と思っている。

「古代天皇長寿の謎」の功罪
「古代天皇長寿の謎」の記述内容には正しいことと誤りが混在している。誰しも、優れた発見をしたとしても、発見したことを基本にして応用・拡張などをしていくと、応用・拡張の仕方によっては、誤りが生じることがある。「古代天皇長寿の謎」も同様で、上記に述べた暦の倍暦に関しては優れた発見であった。しかし、4倍暦にあって各天皇の倍暦を一律で扱ったこと、2倍暦が適用される天皇を見誤ったことなどから、倍暦に基づき算出された復元年代は大きな過ちを犯すこととなった。
このようなことは、貝田氏に限らず多くの学者に見られることであり、正しい部分を評価し、誤った部分を明らかにし、課題として捉え解決に努めればよいことである。

「古代天皇長寿の謎」の罪は、利用する側にある
筆者が「古代天皇長寿の謎」の功罪と表現する「罪」の部分は、貝田氏に対してではなく、著名な歴史学者を含め、多くの学者が誤りを含んだ復元年代を無造作に利用していることに対してである。貝田氏は素直な性格の方のようで、いくつかの疑問(神武の在位年数、応神以降の十数年の誤り)を示しているのであるから、くみ取らなければならない。

「古代天皇長寿の謎」(六興出版)が発行されたのは1985年である。それ以前に、日本書記の解読に関して何が公知であったか、筆者は勉強不足でよく分らない。
「古代天皇長寿の謎」には、「月日」を解析以外に、いくつかの先見性あるいは新しい発想と呼んでもよいことが記されている。

統計的手法と平均在位年数の活用の先駆者?
貝田氏は、日本書記の年代の延長の始まりを、雄略天皇崩御年に置いた。その根拠として、鳥羽天皇から75天皇の代数と年代を用い、年代延長の有無を探っている。それには検定などの統計的手法を活用されている。さらに、新羅、高句麗の王一代の平均在位年数12.54年を導き出して比較検討されている。
貝田氏は、天皇一代の平均在位年数の活用している。貝田氏が初めて行ったことかどうか知らないが、少なくとも解析方法として、1985年には公知の事実である。

神武天皇~仁徳天皇は4倍暦
貝田氏は月日の解読結果から、(A)「仁徳までの各天皇の在位が4倍になっている」ことを明らかにした。さらに、履中から雄略までの在位が2倍になっているとした。
貝田氏は、上記の根拠として、(B)「1年の半年の1トシとして、1年を2トシからなること、1月の半分の15日を1ツキとして、1月が2ツキからなること、を組み合わせて、1年が4倍あるいは2倍に延ばされている」とした。
しかし、(B)が正しいとしても、(A)が成立するとは限らない。
筆者は、2倍暦の知識に基づいてはいるが、記載された月日には、それ以外の意味が含まれているという考え方をしている。
筆者は、「神武から仁徳までの期間(各天皇の合計在位)が4倍に延ばされているとするが、各天皇の在位は4倍であるとは限らない」としている。貝田氏の主張する「仁徳までの各天皇の在位が4倍になっている」は採用できないのである。
貝田氏とは、神武から仁徳までの期間が4倍であることは一致しているのであるから、この点において心強く感じている。

雄略天皇以降は正しく表記されている?
貝田氏は、年代の復元に当たって、次のような結論を示されている。
雄略天皇の没年以降は太陰暦の長さで、正しく表記されており、『日本書紀』のままで読んでもよい。」
月日のデータから4倍暦か2倍暦かの判断は難しかったとして、「暦通りである」という結論は重要である。
現在、筆者は日本書記の雄略没年479年が正しいと考えている。清寧以降の復元はまだできていないが、雄略天皇に記載された記事の内容からみると479年の記事が最後になっているからである。復元年代を479年より下った年代にするには、相当の根拠が求められそうである。
日本書紀に記載された「月日」を研究して、年代復元をされたが、雄略天皇没年が正しくないとすれば、「古代天皇長寿の謎」に書かれた復元年代はすべて(100%)間違いであることになる。「暦通りである」という結論くらい正しい結論であってほしい。)

貝田氏の間違えた事柄について述べるのは苦痛である。「機会があったら」としておきたい。

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
https://www.typepad.com/services/trackback/6a0120a6b19efd970b012875b3e61f970c

Listed below are links to weblogs that reference 「古代天皇長寿の謎」(著者貝田禎造、六興出版)の功罪:

コメント

この記事へのコメントは終了しました。