孝元天皇~崇神天皇の年次表を解読する
筆者は、「各天皇に、『年代(数字)のからくり』が少なくとも1件は存在する」と主張してきたが、孝元天皇から開化天皇の年代には『年代(数字)のからくり』が見つかっていなかった。さまざまなからくりの仕組みが解読できてきたことから、再度見直しをした結果、孝元天皇と開化天皇の年次表に記載された前の天皇の陵に葬る年次を見ると、孝元天皇にあっては6年次になっていること、開化天皇においては5年次になっていることに気付いた。それぞれの天皇の復元年代、この場合は即位の年代、の位置付けを6年あるいは5年ずらしてみなければならないということであった。
追記(2009/10/14)従来の年次表「表12-1 神武~崇神復元年代の詳細」を修正したので見ていただきたい。
新しい復元年代と在位は、次のとおりである。
孝元崩御:293年、在位26年(従来:296年、在位29年)
開化崩御:301年、在位8年(従来:301年、在位5年)
これにより、各天皇のチェック事項における1年ずれおよび開化天皇と崇神天皇の接続の問題が解消した。
開化天皇と崇神天皇の年代の接続
最大の収穫は、孝元天皇~崇神天皇の記載された事項(チェック事項を含む)と復元年代が一致したことである。
特に、開化天皇および崇神天皇において、年代の接続が悪かった従来の復元年代が、整然とした。従来、2年のズレがあり補正が必要としたり、2倍暦と実年記載の切り替わる年代で調整する考え方を示してきた。
上記の新しい解読方法では、2倍暦が用いられたのは開化崩御301年まであり、崇神即位302年から実年による記載に切り替わる。筆者の主張する「2倍暦と実年記載の切り替わる年代が開化と崇神の間にある」という考え方は活かされていて、一層明確な解決となった。
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