古事記は、日本書紀の解読書(あるいは参考書)である(反正天皇の事例)
既に投稿した記事において、「古事記は、日本書紀の解読書(あるいは参考書)である」という事例をいくつか述べてきた。
筆者の日本書記の年代解読の手の内を明かすことになるが、つい最近の事例を紹介する。
允恭天皇の5年次の記事に、反正天皇の濱(もがり)の記事がある。倉西裕子氏の研究によると、一般に濱は崩御後半年以内に行われるとのことである。そのことから允恭天皇の年次に何らかの操作がなされていると推測される。
筆者は、既に解読済みの古事記の復元年代をチェックしてみた。
古事記の復元年代は、既投稿の「古事記の暗号解読と復元年代(まとめ)」に添付した「表93 記紀による崇神以降の暗号解読結果(新説古事記復元モデル)」を見ていただきたい。
古事記の復元年代は、反正天皇の在位が7年となっている。古事記の崩年干支から読み取った年代から計算される反正天皇の在位は5年であり、2年長くなっている。日本書紀に記載された反正天皇の在位も5年である。
以上より、日本書記の復元年代と在位が古事記の復元年代と同じになるかを検討してみると、全体として整合性のある、採用できるレベルの結果が得られた。日本書記における反正天皇の復元された即位年は433年、崩御年は439年、在位7年であり、古事記の結果と全く同じである。
筆者の日本書記の復元年代には、以上のようにして得られた反正天皇の年代と在位を採用している。詳細は、既投稿の「履中天皇~雄略天皇の年次表の解読」を読んでいただきたい。
反正天皇の在位は、特異である
考えてみると、ほとんどの天皇の記載在位は延長されているから、復元在位と記載在位と比較すると、復元在位の方が短い。その点で反正天皇の在位は記載より2年長く、特異である。
多くの学者の反正天皇の復元在位を見ると、5年のままか、5年以下に短くされている。反正天皇の在位を長くした例は筆者の記憶にない。
これほど特異な例であるから、日本書紀だけ見ていても解決できないのは、上記の説明でお分かりいただけるであろう。
筆者にしても、古事記の情報がなければ、多分、多くの方々と同じであったかも知れない。
それにしても、反正天皇の在位を短くする方々は、何を根拠にされているのだろうか。
1985年に発行された貝田禎造氏の「古代天皇長寿の謎」から脱皮できないのかもしれない。この書物は、功罪二つが同居したものである。他の方の書かれた書物の批評などしたくないが、いつか、述べなければならないのかも知れない。
それに比べ、古事記は多くのことを示唆してくれる。
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