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2009年10 月 8日 (木)

応神天皇の年次表の解読する(外交史を含む)

応神天皇については、「応神天皇は、いつ生まれ、いつ崩御されたか?」において、誕生363年、即位381年、崩御403年、在位23年と述べた。編者が想定した応神の年代の基本的な考え方を示したつもりである。

応神の在位は倍暦では計算できない
日本書紀の年次表では、応神在位41年となっている。記載在位41年から復元在位23年を導き出すことは、2倍暦などの普通の計算ではできない。理由は以下の通りである。
応神天皇の年次表のうち記事のある年と記事のない年を分けてみると、記事のある年は23年間で、記事のない年は18年間である。記事が記載された年のみ在位として有効であり、これが在位23年の根拠の一つである。要するに、倍暦の手法は用いず、年数加算の手法を用いているのである。勿論、前提として倍暦は考慮されていると考える。

次に「表26 応神の年次表を解読する(外交史を含む)」および「表26-1 応神の「年月日」解読結果」を見ていただきたい。

表26 応神の年次表を解読する(外交史を含む)

表26-1 応神の「年月日」解読結果

既に、「表25 神功皇后の年次表を解読する(外交史を含む)」において外交関係の記事の年代を示した。それらのうち応神の年代に関係したものを移し替えている。
応神の年次表の一部の記事は、仁徳の年代に関した記事が含まれている。403年以降の百済関係の記事が該当する。記事の量からすればかなり多いが、応神の崩御の年代の誤りではなく、外交記事を神功皇后と応神天皇に集中させたためである。数字の上では120年という年代差が可能にさせたといえる。

応神天皇は中国への朝貢をしていない
中国への朝貢の使者は阿知使主である。阿知使主の関係記事を百済関係の記事と同じく+120年を加えるのは妥当かどうかである。一般的に、百済関係の記事には、「月日」が記載されないが、が記載されているからである。
添付した「表26-1 応神の「年月日」解読結果」に示した通り、阿知使主の関係記事3件に記載された「月日」を見ると、いずれも年代差「120年」を示唆する。添付した「表26-1 応神の「年月日」解読結果をみていただきたい。

応神天皇の崩御の復元年代がおおよそ420年以降になるのは、年代復元というより妄想にすぎない。410年代半ばに解釈される場合は復元の誤差は約10年の範囲にあり、否定するには説明が必要であろう。
対象は、413年の中国朝貢である。応神崩御は403年であるから応神朝貢はあり得ないのである。しかし、例えば応神崩御を413年と考えれば応神が中国へ朝貢したことになる。筆者の知る限り、応神崩御年よりも中国朝貢の年代が先にあり、応神崩御年を合わせ込んだような記事しか見ていない。一言でいうなら、記紀の編者は基本的に朝貢の記事を嫌がっているのである。誰が朝貢したか分らない413年の朝貢など記載対象にはなっていないということである。

日本書記の記載では、阿知使主らが来日したのは応神20年次である。復元年代は409年で仁徳の時代である。百済関係の記事と同様に120年の年代差で見なければならないのである。
「応神37年次、阿知使主を呉に遣わす」とあるが、復元年代では426年になり、425年の中国朝貢を想定したものであろう。
応神41年次の記事は面白い。「阿知使主らが呉より(帰国し)筑紫に至る。武庫に至りて(応神)天皇崩御を知った。間に合わなかった。」とする。阿知使主らの記事を仁徳の年代に移せば、阿知使主らが425年の中国への朝貢を果たして帰国したときには、仁徳天皇が崩御され(427年1月)、生存中に報告ができなかったのである。

「年代(数字)のからくり」(呉国が朝貢してきたので使いを出した)
また、仁徳天皇の58年時の記事に、「呉と高麗国が朝貢してきた。」とあるが、復元年代は425年(または424年)である。「応神37年次、阿知使主を呉に遣わす」という記事と一対になる記事であり、「425年に呉国が朝貢してきたので、426年に呉国に使いを遣わした。」と読み取れる。これが日本書記の編者の考案した「年代(数字)のからくり」であり、編者の考え方が十分に示されているのである。
併せて、阿知使主らの記事に、120年の年代差を意味する「月日」を用いた理由も分るのである。

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